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葛飾北斎④ 新柳橋の白雨御竹蔵の虹 ー絵本隅田川両岸一覧━ Panoramic Views on Both Banks or the Sumida River: Shinyanagi Bashi no Hakuu/Otakegura no Niji (Sudden Rain at the New Yanagi Bridge / Rainbow Above Bamboo Warehouses) 狂歌絵本『隅田川両岸一覧』三巻のうち、中巻の一枚です。 住 所 / 東京都墨田区横網1-3 |
![]() ![]() 新柳橋の白雨御竹蔵の虹 ー絵本隅田川両岸一覧━ 狂歌絵本『隅田川両岸一覧』三巻のうち、中巻の一枚です。にわか雨に降られ、傘を持った 人々が新柳橋の上を走っている様子が、隅田川の対岸から描かれています。白雨というのは 天気雨のことです。左奥の橋は御蔵橋で、幕府の材木蔵であった「御竹蔵の入堀に架かって いました。奥一帯の「御竹蔵」には当初は建築用の資材が保管されていましたが、現在の猿江 公園の材木蔵に移されるようになると米蔵として使用され、本所御米蔵と称されました。 その広大な敷地は、現在の国技館、江戸東京博物館などがあたります One of the prints from the second of thethree-volume comic tanka picture books. Panoramic Views on Both Banks of the Sumida River. This print shows a second of people with umbrellas crossing theNew Yanagi Bridge during a light shower, and it is drawn from the opposite side of the Sumida River. The term “sudden rain” refers to an unexpected shower. The bridge on the far left is the Mikura Bridge. It spans theentrance to the Otakegura bambo warehouses,where the Shogun's timber was stored. The area behind the Otakegura warehouses was used to stor building materials at that time, but it became a rice warehouse when it moved to the timberyard located in the present-day Sarue Park, and became known as the Honjo Rice Warehouse. This enormous estate is now occupied by the Ryogoku Kokugikan, he Edo Tokyo Museum and other facilities. |
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両 国 国 技 館 大相撲の殿堂。昭和60年 (1985)、新国技館 として蔵前から両国に復帰。相撲博物館が併設 されており、相撲の歴史を体験できる 住 所 / 東京都墨田区横網1-3-28 電 話 / 03-3623-5111 |
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![]() 国 歌 君が代に詠まれているさざれ石 此石は学名を石灰質角礫岩と云う石灰質の石が雨水に溶解し其石灰分をふくんだ 水が時には粘着力の強い乳状体となり地下にて小石を終結して次第に大きくなる。 やがてその石が地上に出て国歌に詠まれている如く千代八千代年をへてさざれ石が巌 となりて苔のむすという景観実に目出度い石である。全国至る処石灰質の山に産ずる 石であるが特にこの石は国歌発祥の地と云われる岐阜県揖斐郡春日村の山中にあった もので其終結過程の状態が此石を一見してよく知ることが出来る。繁栄と団結、 平和と長寿の象徴を讃歌しためでたい石であります。 |
![]() ![]() 1955年に戦後初めて相撲観戦した思いをしたためた和歌 昭和天皇の「御製」の歌碑 《ひさしくも 見ざりしすまひ(相撲) 人びとと 手をたたきつつ 見るがたのしさ》 昭和三十年五月 天皇陛下親しく蔵前国技館に行幸はじめて國民と共に本場所を観覧 あらせられた陛下は終戦時國民を想い「五内為ニ裂ク」と仰せられた 又日常國民の 上に御念の安まる間とてもない 然るにご観覧中は椅子を進められ拍手を送られ大衆も 之に和するという光景を現出したのであった 天皇が一般國民と一つになって我国の国技 たる相撲を御覧になった和やかな情景は戦前には見られないことであった陛下がかくも お喜びなったことが新聞ラジオテレビジョンによって傳えられるや國民全体はまた心の 底から喜んだのであるこれは其時の御製であって翌年正月初めて発表せられたもので ある我國相撲道の發展興隆期して待つべく大日本相撲協會の光榮まことに大なりと 言うべきである 昭和三十一年五月十九日 大麻唯男 |
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忠臣蔵・俵 星 玄 蕃 の 道 場 跡 Site of Tawaraboshi Gemba's stable 俵星玄蕃は忠臣蔵に登場する架空の人物で、宝蔵院流 の槍の名手、彼の道場は本所横網町のこの辺りにあった とされています。上杉の家老・千坂兵部が二百五十石の 高禄で、吉良家に召抱えようとしますが、赤穂浪士の 世を忍ぶ苦心に同情を寄せた玄蕃はこれを断りました 住 所 / 東京都墨田区横網1-3-28 電 話 / 03-3623-5111 |
![]() ![]() 忠 臣 蔵 Site of Tawaraboshi gemba's stable 俵 星 玄 蕃 の 道 場 跡 11 宝蔵院流の槍の名手、俵星玄蕃は忠臣蔵に登場する架空の人物で、彼の道場は、 本所横網町のこの辺りにあったとされています。上杉の家老・千坂兵部が二百五十石 の高禄で、吉良家に召抱えようとしますが、赤穂浪士の世を忍ぶ苦心に同情を寄せた 玄蕃はこれを断りました。屋台の夜なき蕎麦屋「当たり屋十助」に姿を変えて吉良邸 を探っていた赤穂浪士・杉野十兵次の前で、「のうそば屋、お前には用のない事じゃ が、まさかの時に役に立つかも知れぬぞ見ておくがよい」と、槍の技を披露しました。 討入り当夜、助太刀に駆けつけると、杉野に会い、たいへん驚き、吉良邸外の守りを 固め、本懐成就に協力したとされます。 墨田区 |
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両 国 さ か さ か さ 傘を逆さにしたような三角屋根の“逆さ傘” に由来する名称です。 国技館の前に設置されています。 所 在 地 / 東京都墨田区横網1-2-16 |
![]() ![]() 天からの恵みを集めて活かす 「両国さかさかさ」天水収穫装置 雨を「よける」のではなく「集めよう」。都会ではとかくやっかいもの扱いされがちな雨。しかし、雨なしには草花も育ちません。雨はありとあらゆる生命の源です。大地を潤し、緑を育み、地下水と なります。豊かな地下水は湧水となり、川に豊かな流れをもたらします。コンクリートやアスファルトが目立つ東京のまちも、実は空と大地の間を循環する雨によって支えられているのです。雨は、天水。 天からの恵みの水。この装置は、天水をもっと大切に、もっと有効に活かすシンボルとして、大地から 空に向けて広がる「逆さ傘」をコンセプトに作られました。下部は、この逆三角屋根に降った 雨を貯める容量約600ℓのタンクになっています。貯めた雨水は、付近の花壇への水やりや打ち水など に活用します。「歩道の緑地」という都市の公共空間で、天からの恵みを集水・貯留・活用し、 大地に戻す━。市民と企業と行政との協働による、 天水を活かしたまちづくりへの実践です。 2010 年6月 墨田区・恵みプロジェクト |
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舟 橋 聖 一 生 誕 の 地 1904年(明治37年)12月25日 に東京に誕生。大学 在学中に朱門に参加。四代目河原崎長十郎や村山知義 らと共に劇団心座の旗揚げに尽力しました、白 い 腕で 文壇に登場、明治大学教授として教鞭をとるかたわら 雑誌行動に参加して(ダイヴィング』を発表、行動 主義を宣言して注目されました。 住 所 / 東京都墨田区横網1丁目11-1(報知新聞社ビルの脇) |
![]() 右側のビルは報知新聞社です |
![]() 報知新聞社ビルの脇に碑があります |
![]() 左側の黒い塀は旧安田庭園です |
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![]() 側面に前のビルの持ち主の名前が書かれています。 |
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![]() ![]() 舟 橋 聖 一 生 誕 記 念 碑 作家舟橋聖一は明治37年 (1904) 12月25日に、本所区横網町二丁目二番地に生る。 作家、國分学者として盛名高く、数々の名作を遺すも、その七十二年の生涯は 権威に屈せず市井の文人、文学者として独自の風格を以て貫かれている。 代表作の一つ、花の生涯は井伊大老の生涯を綴った醇乎たる絶品であるが、 文学、文化人として、前人未路の道を歩いた作者の人生行路もまた、その まま花の生涯と呼ぶにふさわしいものである。 井 上 靖 代表作:「木石」「川音」「悉皆屋康吉」「ある女の遠景」 「好きな女の胸飾り」等 略歴 東大卒・明大教授・日本文芸家協会理事長・国語審議会委員・ 横綱審議委員長・等 日本芸術院会員・文化功労者 |
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HYLIC RYOGOKU RIVER CENTER 〇・THE GATE HOTEL RYOGOKU by HURIC 〇・水上バス待合所 〇・両国子育てひろば 〇・御蔵橋跡案内板 住 所 / 東京都墨田区横網1-2-13 階段の左側は水上バス待合所で右側はホテルです。 |
![]() 両国国技館が見えます。 |
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![]() THE GATE HOTEL レストランより |
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![]() ![]() 江 戸 の 町 Site of Okurabashi Bridge 御 蔵 橋 跡 御蔵橋は、隅田川に面した松前伊豆守の屋敷のそばの入り堀に架った橋で、この辺り にありました。堀の突き当たりは、御竹蔵(または御蔵地)という幕府の材木蔵でした。 隅田川から船で運んだ木材や竹の荷を、この堀から引き入れて、御蔵地へと収納する ようにできていたのです。後に米蔵として使用され、現在は国技館や江戸東京博物館 などが建っています。御蔵橋は、池波正太郎の「鬼平犯科帳特別長編雲竜剣流れ星」 にも登場していて、「左側は、まんまんたる水をたたえた大川が黒く横たわり、 ここへ来ると、まったく人影もなかった。… …幅一間半、長さ五間の橋である。」 と書かれています。 |
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百 本 杭 跡 立 札 百本杭とは、総武線鉄橋あたりの隅田川の湾曲した東側の 部分に打たれていた護岸のための杭で、ここからほど近い 川中にありました。隅田川は水量が多く、湾曲部ではその 勢いが増して川岸が浸食されました。杭の抵抗で流れを 和らげるために夥しい数の杭が水中に打ち込まれ、それが やがて百本杭と呼ばれるようになったそうです。 住 所 / 東京都墨田区横網1丁目(パールホテル並び) |
![]() ![]() 江 戸 の 町 Site of hyappon-gi 百 本 杭 跡 12 百本杭とは、総武線鉄橋あたりの隅田川の湾曲した東側の部分に打たれていた護岸のための 杭で、ここからほど近い川中にありました。川の流れを和らげて、土手を保護する役目を 負っていました。その辺りは、明治中期までは鯉の釣り場として有名で、釣り好き幸田露伴 もよく出かけたといわれています。また、歌舞伎の『色街模様薊色縫』の「稲瀬川百本杭の場」 で、かなわぬ恋をした二人が身を投げて心中する場所とされています。その風景も見事だっ たため、広重の「東都名所」にも描かれていますし、最後の浮世絵師といわれる小林清親が 「千ぼんぐい両国橋」や「東京両国百本杭暁之図」として、浮世絵に描いています。 墨 田 区 |
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No.316 アパホテル&リゾート 〈両国駅タワー〉 (全室禁煙)2020年8月7日開業 住 所 / 東京都墨田区横網1丁目11-10 TEL / 0570-021-111 FAX / 03-5619-6712 チェックIN/OUT 15:00 / 11:00 |
![]() 31Fのプールサイドからの眺望 |
![]() 墨田区観光インフォーメーション(2F) |
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![]() 最優秀賞 (東京都 SKY PRINCESS 様) 作品タイトル:「いにしえの時の流れに立つアパ!」 |
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下 総 屋 食 堂 ドラマの撮影の現場にいるような感じがしました。 100才の誕生日のお祝いの100本のバラのお出迎! 住 所:東京都墨田区横網1丁目12 営業開始: 9:30 |
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パールホテル両国 レストラン ようらく 和洋バイキング朝食は毎日35種類以上の料理や おかずがいただけます。¥1,100〜 6:30〜9:00(日曜・祝祭日 6:30〜10:00) 住 所:東京都墨田区横網1-2-24 電 話:03-3621-0585 |