スカイ姫のつぶやき街角南部ルート7
本所吾妻橋駅北〈清雄寺入口〉
墨田区内循環バス南部ルート7のバス停、26本所吾妻橋駅北(清雄寺入口)は、
水戸街道に面し吾妻橋2丁目2番地にあります。

                               店・工場関係

        本所吾妻橋駅北 (清雄寺入口)

源  森  橋   源 森 川 水 門  枕  橋    鬼平情景 如 意 輪 寺




        本所吾妻橋駅北 (清雄寺入口)



        鬼 平 情 景  如 意 輪 寺
住 所 / 吾妻橋1-22-14   電 話 / 03-3623-4849
嘉祥二(八四九)年に慈覚大師が徳太子自作の
太子像を安置したことに始まると伝わる天台宗
の古刹です。鬼平犯科帳では、「(かたき)
に南の門前にある花屋が何度か登場します。)





      如 意 輪 寺
Nyoirinji Temple

嘉祥2年(849)、慈覚大師円仁の創建とされ、境内に
水戸家の家臣雪斎の書による聖徳大師の石額があります。
It is said that this temple was founded by Jikaku-Daishi
Ennin in 849. There is a stone-framed-“Shotoku-Taishi”
calligraphy by Sessai, a vassal of TOKUGAWA family in
the precincts of the temple.
 





         





         





            

 鬼 平 情 景
 如 意 輪 寺
嘉祥二(八四九)年に慈覚大師が聖徳太子自作の太子像を安置したことに始まると伝わる
天台宗の古刹です。像を納めた太子堂は「牛島太子堂」、「中之郷太子堂」と呼ばれ、
広く知られていました。寺域は五六○坪あり、門前町は南と東に二カ所開かれていました。
鬼平犯科帳では、「(かたき)」に南の門前にある花屋が何度か登場します。その最初の下りに
「大滝の五郎蔵は、まっすぐに市中を突き切り、大川(隅田川)をわたって、本所、中ノ郷
元町にある如意輪寺門前の花屋に入った。」とあります。後に捕縛され、密偵となる
大滝五郎蔵の盗人宿ですが、亭主の利兵衛が何者かに殺されてから話が大きく転換します。
 





        源 森 橋
名前の由来は、現在の枕橋 (本橋から約200メー
トル隅田川寄りの橋)、古くは源森橋と呼ばれてい
たものが、明治初期に枕橋に正式決定されたこと
による。

スカイツリーの撮影ポイントとして有名です。
住 所 / 向島1丁目  





         





源森川水門の川べりに群れがいました。

         





         





 

源 森 橋
源森橋の名前の由来は、現在の枕橋 (本橋から約200メートル隅田川寄りの橋)、
古くは源森橋と呼ばれていたものが、明治初期に枕橋に正式決定されたことから、
本橋を源森橋と呼ぶようになったことによるものである。その昔、現在の枕橋
(旧源森橋) が関東郡代であった奈半十郎により中之郷瓦町(現在の吾妻橋地区)
から新小梅町 (現在の向島地区) に通ずる源森側(北十間川) に架けられた。また
枕橋 (旧源森橋) 北側にあった水戸屋敷内に大川 (隅田川) から引き入れた小さな
堀があり、これに架かる小橋を新小梅橋と呼んでいた。この二つの橋(旧源森橋、
新小梅橋)は並んで架けられていたため、いつの頃からか枕橋と総称されるように
なったその後、水戸屋敷内への堀は埋められ新小梅橋もいつしか消滅し、残った
旧源森橋は明治初期に正式に枕橋と呼ばれることになり、旧源森橋の東側にあった
本橋を源森橋と公称した。現在の源森橋は、昭和3年に架設した鋼橋(上路式アーチ橋)
が約80年経過し、老朽化したため、平成19年3月に鋼橋(鋼床版鈑桁)に架け
替えられたものである。
                                     平成19年3月



タイトル:〔江戸切絵図〕. 本所絵図
著者:景山致恭,戸松昌訓,井山能知/編  出版者:尾張屋清七
出版年月日:嘉永2-文久2(1849-1862)刊


水戸殿の下の川に源森橋とあります






       源 森 川 水 門
隅田川と北十間川の接続点に設置された幅11メー
トル、門扉高さは7.5mのローラーゲート式水門
で、江東デルタ地帯を守る防潮水門です。通常は
開放されていますが高潮や津波の恐れがある
場合は直ちに閉鎖されるそうです。
住 所 / 吾妻橋1丁目  





             





           





         





         





         






       枕   橋
隅田公園が水戸家の下屋敷だった頃、新小梅橋
とそのそばの源森橋が並ぶ様子が、夫婦が枕を
並べたように見えたことから、「枕橋」とい
う名がつけられました。後に新小梅橋は撤去
され、元の源森橋だけが単独で枕橋と呼ばれ
てるいるそうです。
住 所 / 吾妻橋1丁目  





         





         





         





         





         







枕 橋 の 由 来
寛文2年(1662年)、関東郡代であった伊奈半十郎により、中之郷 (現在の吾妻橋) から
向島に通じる源森川に源森橋が架けられた。またその北側にあった水戸屋敷内に大川
(隅田川) から引き入れた小さな堀があり、これに架かる小橋を新小梅橋と呼んでいた。
この二つの橋は並んで架けられていたため、いつの頃からか枕橋と総称されるように
なった。その後、堀は埋められ新小梅橋もいつしか消滅した。明治8年、残った源森橋
は正式に枕橋と呼ばれることとなった。現在の枕橋は昭和3年に架け替えられたもの
である。昭和63年、本橋は東京都著名橋に指定された。
                                平成4年3月





タイトル:[枕橋之図]
著者:[井上探景] [画]  出版者:[出版者不明]

         






枕橋 掲載資料 旅の家つと. 第29
刊行年 明治33(1900)
            
枕橋八百松楼掲載資料:東京風景
刊行年:明治44(1911)

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つぶやきいってみよう

        本所吾妻橋駅北 (清雄寺入口)



        塩パン屋 ・メゾン
愛媛県で行列のパン屋さん
住 所 / 吾妻橋2-4-1  電 話 / 03-6240-4777
定 休 日 / 火 曜 日 営業時間 / AM7:30~PM19:00





         





         





          

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