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TOKYO油田2017とは 「TOKYO油田2017」は東京地域で 使われた家庭や事業者の天ぷら油を回 収し、二酸化炭素を増やさないバイオ ィーゼル燃料などへの再資源化を通し て、私達の生活環境の改善に貢献して いくための、新時代のリサイクルプロ ジェクトです。 ![]() 油の回収を通して、環境に貢献したい と思っている方であればどなたでもご 参加できます。またご家庭からの油の 回収と、企業・団体、カフェ。レスト ランなどの事業者の方の回収では回収 方法が違いますので、ご自分にあった お届け方法をご検討ください。 廃食油の回収拠点(第一と第三土曜日)
入れてだす未使用の油は、未開封のま まで出す。 |
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〇WEBショップ 神奈川県を中心に45の「WEショップ」 があり、36の「WE21ジャパン地域NP O」と呼ばれるNPOが運営しています。 リユース・リサイクル 民際協力 共育 |
〇リユース・リサイクル 衣類・ 雑貨のリユース 古着からリメイク 販売イベント (WEフェスタ) リサイクル(衣類, ガラス 陶磁器, 携帯電話, 天ぷら油) |
〇民際協力 助成による支援 現場での民際協力 フェアトレード 東日本大震災支援· |
〇共 育 (ともいく) WE講座・報告会 開発教育ワーク ショップ 貧困なくそうキャンペーン アジア・友だち・みらい貯金 服育 |
〇政策提言 3R 鉱山開発とエネルギー 市民がつくる 平和な社会づくり 多文化共生 NPO税制度 |
![]() 木(き)下(ね)川(がわ)梅(ばい)園(えん)の跡 墨田区東墨田三丁目 かつて、この蛇行する旧中川の北岸 地域の木下川に、六◯◯◯坪にも及 ぶ、濹東で一番広い「木下川梅園」 がありました。梅園としたのは、木 下川村の名主・村越次郎兵衛で、文 政(一八一八~一八 )頃と思われ ます。その為、「次郎兵衛の梅」 とも呼ばれました。ここから南西に かけて「鹿倉吉兵衛の梅」とか「小 山孫左衛門の梅」(小村井梅園)など もありました。幕末になり、勝海舟 の縁により徳川家の所有となり、実 質は海舟の別荘として使用され、 同時に管理人をおいて、一般に公開 されました。明治の地図などを見る と、「松樹(寿)梅園」と記入された ものも見られます。入園者には太い 鼻緒の草履をはかせ、二か所のあず まやでクワイの団子とお茶を出して いた」と伝えられています。明治三 二年(一八九九)に海舟が没した後は、 徳川家が直接管理をしていたようで すが、明治四三年(一九一〇)の大水 の被害を受け、その後の荒川放水路 (現荒川)の開削計画もあり、売却・ 庭園となっていきました。園地のほ とんどが放水路に没し、その一部が 旧中川沿いに残りましたが、旧中川 水門の変更により、昭和四〇年に墨 田区から江戸川区に編入されました。 平成一二年三月 墨田区教育委員会 |
![]() 〈墨田区登録文化財〉 八 広 庚 申 塔 所在 墨田区八広五丁目三十二番 この地はもと大畑村の地域で「新編 武蔵風土記稿」によれば、元禄の改郷 帳に初めて大畑新田村と記載され、後 に新田を省いています。また前記風土 記稿には「庚申堂村持」ともみえ、当 時から庚申堂が村の人々によって維 持されていたことがわかります。庚申 堂内向って左から地蔵菩薩像、中央が 駒型庚申供養塔、右が観音菩薩像です 。庚申塔は左右に「奉造立青面金剛庚 申供養現当安楽所」「元禄二己巳年正 月吉日大畠村」(一六八九)とあり、台 座の銘の部分を巾広くとり「宇田川彦 兵衛・坂田平兵衛」等十一名建立者が 刻まれています。地蔵菩薩像には 「地蔵尊講中 上大畑村」「享保五子 天九月吉日」(一七二〇)の銘があり、 この地域の人々の建立であることがわ かります。また、観音像は全体に摩滅 し、銘等不明ながら同時代のものと考 えられます。 平成五年三月 墨 田 区 |
![]() や く し み ち 道 標 所在地 墨田区八広四丁目十二番三 号先 この道標は、木下川(きねがわ)薬師へ の道しるべで、享保年間 (一七一六―三 六) に八代将軍徳川吉宗が薬師参詣の 際、大畑村 (現八広周辺) の人々に道の 要所に建てさせたものといわれていま す。木下川薬師は天台宗寺院浄光寺の ことで、貞観二年 (八六〇) に創建さ れました。本尊の薬師如来は伝教(で んきょう)大師作といわれ、『江戸名 所図会』には「木下川(きねがわ)薬師 堂と紹介され徳川家祈願所として、 江戸の多くの人々が参詣した関東屈指 の古刹です。かつての浄光寺は現在の 木下川橋のやや下流、川の中央辺りに ありましたが、荒川開削に伴い、葛飾 区東四つ木一丁目に移転しました。こ の道標も開削以前は、この場所ではな く、他の場所から移されてきたものと 考えられます。向かって正面に「右 やくしみち」右面に「左 えど(江戸) 」みち 左面に「大畠村講中」と刻ま れており、長い間この道標が、薬師参 りの人々のために道案内の役割を果た してきたことがわかります。薬師道の かつての道筋は、白鬚の渡し (現堤通 一丁目交差点の辺り) から東に向かい 、曳舟川で薬師橋 (現在の八広一・東 向島六交差点) を東進し、この道標前 を北上した辺りでゆるやかに右折して 薬師堂に続いていました。 平成二十年三月 墨田区教育委員会 |
![]() 三輪里稲荷神社 (こんにゃく稲荷) 慶長十九年(一六一四)出羽国(山形県) 湯殿山の大日坊長が大畑村(八広、東 墨田、立花の一部)の総鎮守として羽 黒大神の御分霊を勧請し三輪里稲荷大 明神として御鎮座致しました。 通称 「こんにゃく稲荷」と呼ばれて人々の 信仰を集めてまいりました。「こんに ゃく稲荷」のいわれは、初午の日に当 社が「こんにゃくの護符」を授与され 、これをいただき煎じて服用すれば、 のどや風邪の病に効くとされることに 依ります。 平成五年八月吉日 墨田区文化観光協会 |
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![]() 和牛処 やまだいら この建物は、新潟県山平村(やまだい ら) (現、十日町市松代) にて、昭和二 十九年まで県内で只一軒の茅葺き屋根 の役場として知られていました。とし て使用されていた建物を、平成二十五 年に当地に移築、再建したものです。 現行の建築基準法、消防法に適合した 建物として設計され、内部は古民家造 りとなっております。 そして、此の建物に合うように実物の 水車を配置しましたが、この水車は岐 阜県高山に現存するものを、東京東信 用金庫様が寄贈されたものです。 平成二十五年八月吉日 設計・施工・岡建工事株式会社 |