スカイ姫のつぶやき街角北西部ルート7
墨田区総合運動場

   

 墨 田 区 総 合 運 動 場

綾 瀬 橋(鐘ヶ潭丹鳥の池)

鐘ヶ淵の由来案内板  梅若橋

フクシ・エンタープライズ
  墨田フィールド(墨田区総合運動場)

都立東白髭公園(北ゲート)


都立東白髭公園 (南ゲート)

東白髭公園防災樹

東白鬚公園公園のシンボル纏

東白鬚公園サービスセンタ-


歴史フェス 鐘ヶ淵パレード イベント 時代の人コンテスト 



   



  


綾 瀬 橋(鐘ヶ潭丹鳥の池)
綾瀬川は隅田川が千住大橋を過ぎ
た辺りで、東から南に大きく流れ
を変えますが、そのあたりから隅
田川に合流しています。東京都が
管理する墨堤通りに架かる橋で堤
通二丁目12番から千住曙町38番ま
での長さ61.26m幅20.5mの長さの
橋です、昭和36年に架設
されました。
 
住 所 / 東京都墨田区墨田5丁目

綾 瀬 川 について
(絵本江戸土産 江戸名所図会 名所江
戸百景に書かれています。鶴の池もあ
ったのですね!)
綾瀬川は総延長47.6kmの一級河川で、
埼玉県桶川市に端を発し、伊奈町、
さいたま市、越谷市、草加市を経て東京
都葛飾区で中川に合流した後、海に注い
でいます。この川の周辺は、昭和の中頃
から都市化が進み15年連続水質汚濁最下
位というレッテルがはられました。綾瀬
川は昭和5年の荒川放水路完成にともな
い、墨田区と葛飾区に分断され、葛飾区
側は放水路に沿って中川と合流し、墨田
区側は隅田川にそそいでいた450mの部
分を残すのみとなり、旧綾瀬川と呼ばれ
るようになりました。
 























墨堤通りの終点です





橋の向側が旧綾瀬川です。











































































絵本江戸土産10編 綾瀬川





鐘ヶ潭 丹鳥の池 綾瀬川 
(江戸名所図会より)
右に(鐘ヶ渕)と(すみだ川)、
右上に(丹頂池)左に
(千住川)、中央に(あやせ川)
とあります。






鐘ヶ潭 丹鳥の池 綾瀬川 
(江戸名所図会より)
右に(鐘ヶ渕)と(すみだ川)、右上に
(丹頂池)左に(千住川)、中央に
(あやせ川)とあります。






名所江戸百景 綾瀬川鐘か淵
著者→安藤広重(1代目)
出版年月日→安政4(1857)
対岸(鐘ヶ淵)中程の橋が綾瀬橋
で手前は南千住です。
合歓の木が描かれています






東都名所図会隅田川渡しの図  
著者:広重  出版者:佐野喜




  


フクシエンタープライズ墨田フィールド
(墨田区総合運動場)
この施設は、区民のスポーツやレクリエ
ーション、地域交流を目的として設置さ
れた多目的運動施設です。セミナーハウ
スを含む複合施設で、スポーツ利用だけ
でなく、会議・研修・宿泊などにも対応
しています。
住 所:東京都墨田区堤通二丁目11番1号
  TEL. 03-3611-9070
  FAX. 03-3611-9073


























































 


鐘ヶ淵の由来案内板
江戸時代初期に、ある寺の鐘を隅田川を
船で運んでいたところ、落としてしまい、引き上げることができなかったという話
が元になっているそうです。

住 所:東京都墨田区堤通二丁目11






















歌川広重『江戸名所百景』のうち
「綾瀬川鐘ヶ淵」
 (国立国会図書館所蔵
デジタルコレクション)


鐘ヶ淵」の由来
所在地 墨田区堤通二丁目11番1号

鐘ヶ淵は、隅田川と綾瀬川の合流地点
で、堤通二丁目の地先にあたります。
江戸時代後期の『墨水遊覧誌』には鷺の
名所であったと記されています。かつて
隅田川が直角に曲がり、それが大工道具
の指矩に似ていることから「かねが淵」
と呼ばれるようになったといわれていま
す。鐘ヶ淵には、鐘にまつわる伝説がい
くつもあります。たとえば、普門院が亀
戸(江東区)に移転する際、梵鐘が隅田川
におちたまま引き揚げられずに沈んでい
るという話や、石浜の保元寺(台東区)の
鐘が壊れて隅田川に転がり落ちたという
話、あるいは8代将軍徳川吉宗が川底に
沈んだ長昌寺(台東区)の鐘を引き揚げさ
せようとしたができなかったなどという
話が伝えられています。明治時代には、
周辺の開発が進み、紡績工場が建てられ
て、社名を鐘ヶ淵紡績株式会社としまし
た。この会社こそ、後に世界有数の紡績
会社に成長した「鐘紡」で、このエリア
にはその東京工場があり、周辺には工場
に勤める多くの職員が暮らしました。工
場は昭和44年(1969)に操業を停止し、そ
れから次第に景観を変えていきました。
  令和3年3月
       墨田区教育委員会




 


都立東白髭公園 (北ゲート)
墨堤通り沿いに位置する東白髭公園の
北ゲートは、広い園内へスムーズにア
クセスできる便利な入口です。木々の
緑に包まれ、散歩やジョギングでいつ
穏やかな時間が流れています。
周辺散策の途中に立ち寄るにも最適です。

住 所:東京都墨田区堤通二丁目11




















































  


梅 若 橋
名前の由来は、悲劇の少年・梅若丸伝説
からきています。現在、橋は東白鬚公園
内の道路を跨ぐ陸橋として整備され、周
辺は散策にも心地よい緑豊かなエリアで
す。かつてこの一帯には、江戸城に納め
る野菜を栽培していた「御前栽畑(ごぜんさいばたけ)
が広がっており、歴史の面影が今
も地名
とともに残されています。
住 所 / 東京都墨田区堤通2丁目2−22













梅 若 橋 頂 上
































































































   


都立東白髭公園 (南ゲート)
東白鬚公園南ゲート(明治通り沿い)
明治通りに面した開放感あふれる入口で
す。ゲートを入るとすぐに広々とした並
木道が続き、明るい陽射しの中をゆった
りと散策できます。公園名の刻まれた大
きな石碑が目印となっており、周囲には
豊かな緑が広がります。まっすぐ伸びる
遊歩道は歩きやすく、ジョギングやウォ
ーキングを楽しむ方々の姿も見られます。

住 所:東京都墨田区堤通二丁目11

























































歴史フェス 鐘ヶ淵パレード イベント
時代の人コンテスト








































































東白鬚公園サービスセンタ-
東白鬚公園は墨田区の北端、隅田川に
沿うような南北に細長い公園で、緑と
レクリエーションの場です。公園の東
側には、13階建の高層住宅が並びます。
公園と住宅、そしてリハビリ専門病院
等をあわせ、この区域一帯は、江東デ
ルタ地区の防災拠点。もし大地震や火
災が起きた時には、公園は避難広場と
なります。
住 所 / 東京都墨田区堤通2-2-1
 電 話 / 03-3614-4467




















































公園のシンボル纏
江戸時代の火消し人足組が高く掲げた
「まとい」をイメージしています。















































 




纏(まとい)。それは、江戸時代にお
いて、火事といえば即、纏といわれ、
纏のもとに総力を結集して、消火活動
を行い纏が火を消したとまで、いわれ
ていました。この公園は、大震火災時
には、都民の安全を守る避難場所とも
なっています。その安全をあらわすシ
ンボルとして、ここに纏のモニュメン
トを建造しました。
 (現在社団法人・江戸消防記念会のもとに、11区89組があり、この纏は第6区7番組のものをもとにしています。)
  昭和61年3月  東京都














東白髭公園少年野球場









































東白髭公園防災樹


























この公園は、江東再開発基本構想に基
づき災害時における避難広場の確保と
生活環境の整備を目的としてつくられ
たものです。樹木には、火災による火
の粉や熱風から人を守る働きがありま
す。このため公園の樹木も防災力の大
きい、常緑広葉樹を中心に枝葉の密な
シイノキ、シラカシ、タブノキ、マテ
バシイ、ツバキ類などを用いました。
この公園は避難した人々を火から守り
、火災の延焼を防ぐようつくられたも
のです。また、ふだんは緑とレクレー
ションの広場として広く利用されて
います。
 

            











墨田区内循環バス時刻表
(すみだ百景 すみまるくん、すみりんちゃん)