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![]() 如 意 輪 寺 Nyoirinji Temple 嘉祥2年(849)、慈覚大師円仁の創建とさ れ、境内に水戸家の家臣雪斎の書による 聖徳大師の石額があります。 It is said that this temple was founded by Jikaku-Daishi Ennin in 849. There is a stone-framed-“Shotoku-Taishi” calligraphy by Sessai, a vassal of TOKUGAWA family in the precincts of the temple. |
![]() ![]() 鬼 平 情 景 如 意 輪 寺 嘉祥二(八四九)年に慈覚大師が聖徳太 子自作の太子像を安置したことに始 まると伝わる天台宗の古刹です。 像を納めた太子堂は「牛島太子堂」 、「中之郷太子堂」と呼ばれ、広く 知られていました。寺域は五六○ 坪あり、門前町は南と東に二カ所開 かれていました。鬼平犯科帳では、 「敵(かたき)」に南の門前にある花 屋が何度か登場します。その最初の 下りに「大滝の五郎蔵は、まっすぐ に市中を突き切り、大川(隅田川)を わたって、本所、中ノ郷元町にある 如意輪寺門前の花屋に入った。」 とあります。後に捕縛され、密偵と なる大滝五郎蔵の盗人宿ですが、亭 主の利兵衛が何者かに殺されてから 話が大きく転換します。 |
![]() 源 森 橋 源森橋の名前の由来は、現在の枕橋 (本橋から約200メートル隅田川寄り の橋)、古くは源森橋と呼ばれていた ものが、明治初期に枕橋に正式決定 されたことから、本橋を源森橋と呼 ぶようになったことによるものであ る。その昔、現在の枕橋 (旧源森橋) が関東郡代であった奈半十郎により 中之郷瓦町(現在の吾妻橋地区) から 新小梅町 (現在の向島地区) に通ずる 源森側(北十間川) に架けられた。ま た枕橋 (旧源森橋) 北側にあった水戸 屋敷内に大川 (隅田川) から引き入れ た小さな堀があり、これに架かる小 橋を新小梅橋と呼んでいた。この二 つの橋(旧源森橋、新小梅橋)は並ん で架けられていたため、いつの頃か らか枕橋と総称されるようになった その後、水戸屋敷内への堀は埋めら れ新小梅橋もいつしか消滅し、残っ た旧源森橋は明治初期に正式に枕橋 と呼ばれることになり、旧源森橋の 東側にあった本橋を源森橋と公称し た。現在の源森橋は、昭和3年に架 設した鋼橋(上路式アーチ橋)が約80 年経過し、老朽化したため、平成19 年3月に鋼橋(鋼床版鈑桁)に架け替え られたものである。 平成19年3月 |
![]() 枕 橋 の 由 来 寛文2年(1662年)、関東郡代であった 伊奈半十郎により、中之郷 (現在の 吾妻橋) から向島に通じる源森川に 源森橋が架けられた。またその北側 にあった水戸屋敷内に大川 (隅田川) から引き入れた小さな堀があり、こ れに架かる小橋を新小梅橋と呼んで いた。この二つの橋は並んで架けら れていたため、いつの頃からか枕橋 と総称されるようになった。その後 、堀は埋められ新小梅橋もいつしか 消滅した。明治8年、残った源森橋 は正式に枕橋と呼ばれることとなっ た。現在の枕橋は昭和3年に架け替 えられたものである。昭和63年、本 橋は東京都著名橋に指定された。 平成4年3月 |
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