![]() ![]() ・ 春日局終焉の地 哲学館跡 臨済宗妙心寺派 天澤山 麟 祥 院 徳川家光の乳母として知られる春日局の 菩提寺で、周囲にカラタチの生垣をめぐ らせていたので「からたち寺」とも呼ば れる。山号は天沢山 妙心寺派江戸四箇 寺の1つ 住 所:東京都文京区湯島4丁目1?8 電 話: 03-3811-7648 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ・ 湯島天満宮 (湯島天神) 学問の神様・菅原道真公を祀る神社で、 湯島天神と呼ばれ梅の名所としても有名 です。境内には、銅製の鳥居(都指定文化 財)や迷子探しの奇縁氷人石(区指定文化 財)があります。1995年には社殿が総檜 造りで改築されました。 住 所:東京都文京区湯島3−30−1 電 話: 03-03-3836-0753 天之手力雄命を奉斎し、雄略天皇二年(458)一月 勅命により創建と伝えられ、 正平十年(1355)二月郷民が菅公の御偉徳を慕い、文道の大祖と崇め本社に勧請し あわせて奉祀しました。文明10年(1478)十月に、太田道灌がこれを再建。 天正十八年(1590)徳川家康公が江戸城に入るに及び、翌十九年十一月 豊島郡湯島郷に朱印地を寄進しました。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 切 通 坂(きりどおしざか) 湯島三丁目30と四丁目6の間 「御府内備考」には「切通は天神社と根 生院との間の坂なり、是後年往来を開き し所なればいふなるべし。本郷三、四丁 目の間より池の端、仲町へ達する便道な り、」とある。湯島の台地から、御徒町 方面への交通の便を考え、 新しく切り開 いてできた坂なので、その名がある。 初めは急な石ころ道であったが、明治37 年(1904)上野広小路と本郷三丁目間に 、電車が開通してゆるやかになった。映 画の主題歌「湯島の白梅」“青い瓦斯灯 境内を出れば本郷切通し”で、坂の名は 全国的に知られるようになった。また、 かつて本郷三丁目交差点近くの「喜之床 」(本郷2-38-9・新井理髪店)の二階に 間借りしていた石川啄木が、朝日新聞社 の夜勤の帰り、通った坂である。 二晩おきに夜の一時頃に切り通しの坂 を上りしも 勤めなればかな 石川 啄木 ― 郷土愛をはぐくむ文化財― 文京区教育委員会 平成11年3月 ![]() ![]() ![]() この歌は、石川啄木(一八八六 ? 一九一 二)の明治四十三年(一九一〇)の作で、 『悲しき玩具』に収められている。文字 は、原稿ノートの自筆を刻んだ。当時啄 木は、旧弓町の喜之床(きのとこ)(現 本郷二ノ三八ノ九・新井理髪店)二階に 間借りしていた。そして、一家五人を養 うため、朝日新聞社に校正係として勤務 し、二晩おきに夜勤もした。夜勤の晩に は、終電車で上野の広小路まで来たが、 本郷三丁目行きの電車はもう終わってい る。湯島神社の石垣をまさぐりながら、 暗い切通坂を、いろいろな思いを抱いて 上ったことであろう。喜之床での二年二 か月の特に後半は、啄木文学が最高に燃 焼した時代である。この歌は、当時の 啄木の切実な生活の実感を伝えている。 文京区内で、最後に残っていた啄木ゆか りの家 "喜之床" が、この三月十八日に、 犬山市の博物館「明治村」に移築、公開 された。 昭和五十五年五月三日 文京区教育委員会 |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ・ 樋口一葉生誕の地 千代田区立内幸町ホールの入口脇の植え みに記念碑がたっています。 小説「にごりえ」や「たけくらべ」などで 有名な明治を代表する女性作家で5,000円 札の顔としても知られています。 住 所 / 東京都千代田区内幸町1-5-1 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ・ 国民公園 皇居外苑半蔵門園地 駐日英国大使館の敷地の一部が日本に 返還され、公園(皇居外苑)になります 住 所 / 東京都千代田区麹町1丁目 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ・ 海 嶽 楼 跡 1865年(慶応元年)、幕末の儒学者安井 息軒は半蔵門外の旗本伊庭家の屋敷に居 を構え、西に富嶽(富士山)を望み、 東に金杉の海が見える所から、海嶽楼と 名付けました。 安井息軒は宮崎県郷土先覚者で清武では 明教堂、飫肥城下では振徳堂で子弟の教 育に励み、江戸に出て私塾・三計塾を開 塾、次世代を担う優れた人材を多く輩出 しました。 自らも学者としての最高地位 「幕府儒官」となり、 息軒の大成した儒 学の考えは、江戸期における学問の集大 成と高く評価されています。 住 所 / 東京都千代田区麹町1番町 ![]() ![]() 1865年(慶応元年)、幕末の儒学者安井 息軒は半蔵門外の旗本伊庭家の屋敷に居 を構え、西に富嶽(富士山)を望み、東 に金杉の海が見える所から、海嶽楼と名 付けました。息軒は日向飫肥藩(現在の 宮崎県)の藩士の子として生まれ、 1819年(文政2年)に大坂に出て儒学者 の篠崎小竹の弟子となりました。1824年 (文政7年)江戸に出て昌平坂学問所に 入り、儒学者の松崎慊堂に師事します。1839年(天保10年)、袋二番町(現在の 千代田区一番町)に三計塾を開き、次世 代を担う優れた人材を数多く輩出しまし た。1861年(文久元年)には、幕府に召 し出されて儒官に任じられています。飫 肥と東京にて門弟教育に力を注いだ息軒 は、1876年(明治9年)東京で亡くなり ましたなお海嶽楼は、1868年(明治元年 )の火災によって残念ながら焼失してし まいました。 ・ き の こ カフェ ランチタイムは4種類のお弁当を販売、 イートインできますが、早めに行か ないと売り切れてしまうようです。 数ある梅の品種の中でも果実が最高級 とされる南高梅の梅干しが手頃な値段 で購入出来ます。 住 所 / 東京都千代田区麹町2丁目14-3 電 話 / 03-3222-8750 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ・ 鶴 屋 八 幡 東京麹町店 元禄15年(1702)創業で、老舗菓子店虎 屋伊織が鶴屋八幡の前身です。店の間口 は六、七間もあり、その隆盛ぶりは『東 海道中膝栗毛』に登場し、『摂津名所図 会』寛政10年(1798)には、百花群がる 盛況ぶりが描かれています。 住 所 /東京都千代田区麹町2-4 電 話 / 03-3263-7766 定 休 日 / 日曜営業 営業時間 / 月〜金 9:00〜19:0 土・日・祝 9:00〜17:30 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ・ DIAMOND HOTEL 皇居半蔵門の近くで、英国大使館の はす向かいです。 公式サイトからの予約がお得! 火曜 、木曜はハッピーデイです。 住 所 /東京都千代田区麹町1-10-3 電 話 / 03-3623-2211 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ・ 大 學 眼 鏡 半蔵門店 40代からの『眼を守る』ために『かけ続 けてラク』なメガネを研究し続けて42年 。免許センターで使われている専門的な 検査器も取り揃え、眼とメガネに悩む良 き相談所です。 住所 /東京都千代田区麹町麹町1丁目6-9 電 話 / 03-3234-0011 時 間 / 10:00〜18:00 年中無休(年末年始を除く) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ・ 萩寺(通称) 慈雲山 龍眼寺 江戸初期に、住職が百種類もの萩を諸国 から集めて境内に植えたことから、 通称“萩寺”として多くの文人墨客が訪れ、「江戸名所図会」には萩を愛でる 人々で賑わう様子が描かれています。 住 所 / 東京都江東区亀戸3丁目34?2 電 話 / 03-3681-2620 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ・ 亀 戸 梅 屋 敷 跡 江戸時代、呉服商・伊勢屋彦右衛門の別 荘「清香庵」があり、広さ3600坪の庭園 に300株にものぼる見事な梅の木々が生え ていました。立春の頃になると江戸中か ら人々が北十間川や竪川を船でやってき て、この地はたいそう賑わったといいま す。特に庭園のなかを数十丈(150m) にわたり枝が地中に入ったり出たりする 一本の梅が名高く、評判を聞きつけこの 地を訪れた水戸光圀は、まるで竜が臥し ているようであると感嘆し、その木に 「臥竜梅」の名を与えました。また、八 代将軍・徳川吉宗は、一旦土に入った枝 が、再び地上に這い出る様を生命の循環 になぞらえ、「世継ぎの梅」と命名し賞 賛したそうです。 住所/東京都江東区亀戸3丁目51-10 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
![]() 東都名所 亀戸梅屋舗全図 歌川 広重 初代 ![]() 名所江戸百景 亀戸梅屋舗 歌川広重 初代 ![]() 東都名所 亀戸梅屋舗ノ図 /歌川広重初代 ![]() 東都名所 梅屋舖満花之図 歌川 広重 初代 ![]() 江戸むらさき名所源氏 亀戸梅屋舖 見立梅かえ 歌川広重 初代 ![]() 江戸自慢三十六興 梅やしき漬梅 歌川広重 2代 歌川国貞 初代 ![]() 東都三十六景 亀戸梅やしき 歌川広重 2代 ・ 亀 戸 梅 屋 敷 住 所 / 東京都江東区亀戸亀戸4-18?8 電 話 / 03-6802-9550 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ・ 亀 戸 天 神 社 寛文3年(1663)に神殿・反橋、心字池な ど九州太宰府天満宮に模してつくられた そうです。新東京百景に選ばれています。 梅まつり/2月中旬~3月中旬 藤まつり/4月下旬〜5月上旬 菊祭り/10月下旬〜11月下旬 住 所 / 江東区亀戸3-6-1 電 話 / 03-3681-0010 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 銀世界東十二景 亀井戸天満宮境内一覧 歌川広重 初代 ![]() 江戸高名会亭尽 亀戸裏門 歌川広重 初代 ![]() 東都名所 亀戸天満宮境内全図 歌川広重 初代 ![]() 江戸名所 亀井戸天神ふし 歌川広重 初代 ![]() 東都名所合 亀井戸 歌川国貞 初代 ![]() 江戸自慢三十六興 亀戸初卯詣 歌川広重 2代 歌川国貞 初代 ![]() 名所江戸百景 亀戸天神境内 歌川広重 初代 ![]() 江戸名勝図会 亀戸天神 歌川広重 2代 ![]() 東都名所 亀井戸池中藤花之盛 歌川広重 初代 ![]() 東都三十六景 亀戸天満宮 歌川広重 2代 ![]() 亀戸藤乃景 歌川国貞 初代 ![]() 亀戸藤ノ真盛 歌川国貞 初代 ・ 江戸懐石 若 福 亀戸天神の境内に佇む江戸懐石のお店 ・ランチメニューもあります。 住所 / 東京都江東区亀戸3-6-4(亀戸天神内) 電話 / 3685-335 4定休日 / 毎週月曜日 駐 車 場 / 完 備 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 若福の近くの素敵なお城 ![]() ![]() ![]() ![]() ・ 元祖くず餅 船 橋 屋 亀戸天神参道に文化2年(西暦1805年) に開店した亀戸天神前本店は創業から 二百年あまりたちます。 住所、フロア:東京都江東区亀戸3-2-14 電話 / 03-3681-2784 営業時間 / 9:00〜18:00 お召上がり/ 9:00〜17:00 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ・ 亀 戸 銭 座 跡 「銭座絵巻」(享保13年(1728年)より 銭座で行われていた銅貨製造工程のう ち、平研(銅貨の表面を磨く)作業をし ている図(日本銀行貨幣博物館所蔵)の 絵を参考にして描かれたレリーフです。 寛永13年(1636年)に銅銭が本格的に鋳 造されました。そのため、幕末までに造 られた銅銭は全て寛永通宝と称し、「寛 永通宝」の文字が打ち出されています。 住 所 / 東京都江東区亀戸2-6 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 横十間川の錦糸橋の近くの歩道で見かけました。亀戸銭座跡から徒歩2分位です! ![]() ![]() ・ 江 東 区 芭 蕉 記 念 館 常設展示→〇松尾芭蕉は何をした人? 〇芭蕉の生涯と生きた時代 〇芭蕉はどんな顔だったの? 〇芭蕉と深川 〇深川と作品 〇旅とネットワーク 〇『おくのほそ道』の旅立ちの地・深川 〇深川芭蕉庵 〇江東区内の句碑・史跡など 〇深川での俳諧活動 開業: 1981年4月19日 営業時間:9:30〜 17:00 住所 / 江東区常盤1丁目6?3 電 話 / 03-3631-1448 芭蕉歴史跡展望庭園分館→常盤1-1-3 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ・ 芭 蕉 庵 史 跡 展 望 庭 園 営業時間:9:15〜 14:30 入園料無料 江東区常盤1丁目1?3 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ・ 渋 沢 栄 一 旧 居 跡 明治9年(1876)に屋敷を購入して修繕 した後本邸とした所で、明治21年 (1888)に本邸を中央区兜町に移し たのちは別邸として利用しました。 住 所 / 江東区永代2-37 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 永代2-37 渋沢栄一は、明治から大正にかけて の実業界の指導者です。 に生まれました。二五歳で一橋家 に仕え、のち幕臣となり渡欧しまし た。帰国後、明治政府のもとで大蔵 省に出仕しましたが、明治六年 ( 一 八七三 ) に実業界に転じ、以後、金 融・産業・運輸などの分野で近代産 業の確立に力をそそぎました。晩年 は社会公共事業に貢献し、昭和六年 ( 一九三一 ) 九二歳で没しました。 栄一は、明治九年 ( 一八七六 ) に深 川福住町 (永代二) の屋敷を購入し、 修繕して本邸としました。同二一年 ( 一八八八 ) には、兜町(かぶとちょ う) ( 中央区 ) に本邸を移したため、 深川邸は別館として利用されました。 栄一と本区との関係は深く、明治二 二年 ( 一八八九 ) から同三七年 ( 一九 〇四 ) まで深川区会議員および区会議 長を勤め、深川区の発展のために尽力 しました。また、早くから倉庫業の重 要性に着目し、明治三十年 ( 一八九 七 )、当地に渋沢倉庫部を創業しま した。大正五年 ( 一九一六 )、実業 界を引退するまでに五百余の会社設 立関与したといわれていますが、本 区に関係するものでは、浅野セメン ト株式会社・東京人造肥料会社・汽 車製造会社・旭焼陶器組合などがあ げられます。 平成二一年三月 江東区教育委員会 ![]() ![]() ![]() ![]() 澁澤倉庫発祥の地 「わが国の商工業を正しく育成する ためには、銀行・運送・保険などと共 に倉庫業の完全な発達が不可欠だ」 日本資本主義の生みの親である、澁澤 榮一は、右の信念のもと、明治三十年 三月、私邸に澁澤倉庫部を創業した。 この地は、澁澤倉庫発祥の地である。 澁澤榮一の生家は、現在の埼玉県深谷 市にあり、農業・養蚕の他に藍玉( 染料)の製造、販売も家業としてい た。この藍玉の商いをするときに使 用した記章が?(ちぎり・りうこ)で あった。明治四十二年七月、澁澤倉 庫部は澁澤倉庫株式会社として組織 を改めたが、この?の記章は、現在 も「澁澤倉庫株式会社」の社章とし て受け継がれている。澁澤シチィプ レイス永代建築を記念し本碑を建 立する。 平成十六年四月吉日 澁澤倉庫株式会社 ・ 幕末の兵学者・思想家として著名な 佐久間象山が西洋砲術塾を開いた信 濃国(しなののくに) (長野県)松代藩下 屋敷(まつしろはんしもやしき)があ った場所です。 住所 / 江東区永代1-15-2 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 江東区登録史跡 永代1〜14付近 この地は、佐久間象山が西洋砲術塾を 開いた があった場所です。象山は松代藩士で 、幕末の兵学者・思想家として著名で す。 城下で生まれ、名は は と称したともいわれています。 四二) 、藩主 より海外事情の調査を命じられま した。おりしも、イギリス・ 国間で勃発したアヘン戦争 (一八四〇 〜四二) に衝撃を受け、おもに海防 問題に取組み、九月には して西洋砲術を学びました。 永代一) の下屋敷で諸藩の藩士ら に西洋砲術を教え、このころ、 した。同年十二月、いったん松代 へ帰藩しますが、翌年再び江戸へ 出て、 に砲術塾を開きました。門下には、 いました。 八五四) 、ペリー来航に際し、吉田 松陰が起こした密航未遂事件に連座 して松代に幽閉されました。 幕府に招かれて京都に上りましたが、 七月十一日、 歳の生涯をとじました。 平成二一年三月 江東区教育委員会 ・ 深川の清澄町と日本橋中洲町の間に架け られたことから清洲の名が付けられた清 洲橋は、昭和三年(一九二八年)三月に 完成されました。ドイツのケルン大吊橋 をモデルとして関東大震災の帝都復興事 業として計画され、平成十九年(二〇 〇七年)には昭和初期を 代表する橋 として永代橋、勝鬨橋とともに国の重 要文化財に指定されました ![]() ![]() ![]() ・ 小 松 橋・扇 橋 パナマ運河のミニ体験ができます! 河 川 名→小 名 木 川 所 在 地→猿江二丁目〜扇橋一丁目間 小名木川 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 扇 橋 江東区は、東側が地盤が低く西側が高 い地形になっています。そこで昭和46 年策定の江東内部河川整備計画では、 東側を常に水位を一定に保つ水位低下 区域としてまた西側の感潮部を耐震区 域として整備をすることになりました 。この閘門は、両区域の接点に当たる 小名木川の中間に位置し、水位差を調 整して船舶の航行を可能にするための 施設です。30億円の事業費と5年3カ月 の歳月を費やして昭和52年に築造され たものです。この方式はパナマ運河と 同じです。 ・ 江東区中川船番所資料館 (公益財団法人 江東区文化コミュニティー財団) 住 所 / 江東区大島9-1-15 電 話 / 03-3636-9091 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ・ 京菓子 彦 九 郎 新大橋店 美味しそう食べてみたいという思いが 湧き出てきました!お店の中の和菓子 巡りをしようと思いました。 営業時間 日、火〜土9:00〜19:00 定休日 / 月曜日 住 所 / 江東区新大橋1-4-16 電 話 / 03-3634-3633 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ・ ![]() 亀戸大根のお店で両国他あちこちに あります。 住 所 / 江東区亀戸4-18-9 電 話 / 03-3637-1533 定休日 / 毎週月曜日 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ・ 千住宿 歴史プチテラス 純和風の前庭と奥庭を配し、ツツジ、 モミジ、ウメモドキなど四季折々の 彩りが美しいプチテラスです。 千住宿・伝馬屋敷の面影をのこす、 横山家の土蔵を“蔵造りのギャラリー” として復元しました。 住所 / 足立区千住河原町21ー11 (千住大橋駅より徒歩3分) 問い合わせ先・・・ 足立区 パーク イノベーション推進課 公園施設係 住所 / 足立区中央本町1-17-1 電 話 / 3880ー5897(直通) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() やっちゃばの風俗展 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ・ 千住宿歴史プチテラスギャラリー 生々流転 フラックス展 all things are in a state of flux / 万物は流転する 2024年3月 13:00〜19:00 (最終日 17:00) 9日(土) 10日(日) 15日(金) 16日(土) 17(日) 20日(水、祝日) 9日 17:00〜ギャラリートーク 18:oo〜オープニングセレモニー ![]() ![]() ![]() ![]()
五 十 嵐 靖 喜 ![]() ![]()
![]() ![]() 岩 田 信 一 ![]() ![]() 太 田 博 健 ![]() ![]() 大 谷 浩 平 ![]() ![]() ![]() ![]() オープニング ハーモニカの岩田信一さんと劇朗読の ルネ・シェヴィリコフスキさん 絵の中に溶け込んだ演奏が良かったです! ![]() ![]() ・ 千 住 名 倉 医 院 文化の遺産を伝えた。たたずまいと文化 と美術を今に伝える史跡である。 旧日光街道の荒川の土手の手前にあり ます。 住 所 / 足立区千住5-22-1 fax / 03-3888-7713 ![]() ![]() ![]() ![]() 骨接ほねつぎといえば名倉、名倉と えば骨接ぎの代名詞になるほど、名倉 医院は関東一円に有名である。下妻道 に面し、日光道中や水戸街道分岐点を 間近にして便がよかったため、駕籠や 車で運ばれてくる患者がひしめいてい たという。門前の広場は、これらの駕 籠や大八車などの溜り場であった。 名倉家は、秩父の畠山氏の末裔で、 に千住へ移り、 を開業したと伝わる。 三代尚壽が 家御成のために創建した母屋や、長屋門が 現存し、昭和五十七年十二月に足立 区登録記念物(史跡)となった。名倉 家当主は、業祖直賢以来代々「素朴」 を号し、俳諧などの文芸を嗜み様々 な人々と交流した。特に四代彌一やい ちの交流は幅広く、松方正義、橋本雅 邦、菱田春草、横山大観といった当時 を代表する人々から還暦を祝う書や画 の色紙を贈られている。彌一と子の謙 蔵は千住に住んでいた文豪・森鴎外や 美術家・岡倉天心、千住の ・ を伝えた。千住名倉医院は、たたずま いと文化と美術を今に伝える史跡で ある。 令和三年三月 東京都足立区教育委員会 ![]() ![]() ・ 横 山 家 住 宅 横山家住宅(足立区登伝録有形民俗文化財) は、宿場町の名残として、伝馬てんま 屋敷の面影を今に伝えている。 住 所 / 足立区千住4丁目28?1 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 横山家住宅(足立区登伝録有形民俗文化 財)は、宿場町の名残なごりとして、 伝馬てんま屋敷の面影を今に伝えて いる。伝馬は、人や物資の輸送のため に、各宿場に馬を負担させた江戸幕府 の制度で、伝馬を負担した者には伝馬 屋敷が与えられ、年貢なども免除され た。横山家は、江戸時代から続く富裕 な商家で、伝馬を負担していた。屋号 は「松屋」で、今でいう再生紙を取り 扱う は戸口が街道から一段下がっており、 上にいる客を下から迎える形となる。 これはお客様をお迎えする心がけの現 れという。また、横山家の敷地は、間 口が十三軒(約二十三・五メートル)、 奥行きが五十六軒(約一0二メートル) で の建造であるが、昭和十一年(一九三 六)に改修が行われている。 間口が九間(約十六メートル)、奥行き が十五間(約二十七メートル)あり、大 きくてどっしりとした てである。広い土間、商家の書院造り と言われる などに、一種独特の風格を感じる。 上野で新政府に敗れ、敗走してきた 語る住居である。 令和元年十二月 東京都足立区教育委員会 ・ 千住絵馬屋・吉田家 吉田家は江戸中期に際物問屋として開業 し、絵馬のほかにも行灯や凧などを作 ってきました。 住所:足立区千住4丁目15?8 電 話: 03-3880-5984 ![]() ![]() ![]() ![]() 吉田家は、江戸中期より代々絵馬をは じめ いる。手書きで描く絵馬は都内にほと んど見掛けなくなって、稀少な存在と なった。当代の絵馬師は八代目で、先 代からの独特の絵柄とその手法を踏襲 した伝統を守り続けており、昭和五十 八年(一九八三)十二月、千住絵馬づく りが足立区登録無形民俗文化財とな った。絵馬は、縁取りした 柄は、安産子育、病気平癒、願掛成就、商売繁盛など祈願する神仏によって構 図が決っており、三十数種ある。これ らの代表的絵馬は、吉田家絵馬資料と して足立区登録有形民俗文化財となっ ている。地口は江戸時代に流行したダ ジャレの1種である。ことわざや芝居 の台詞、格言等を似た音に置き換をえ たものを地口といい、滑稽な画を描い て角型の行灯にしたものが地口行灯で ある。地口行灯は、元来、稲荷神社の は九月に千住の各宮で開催される秋祭りの際に飾られ、千住の街を灯している。 令和二年三月 東京都足立区教育委員会 ・ 足立区立柳原千草園 四季をテーマにした園内には、「春の広 場」にはロウバイやさくら、「夏の庭」 にはシャクナゲやアジサイ、「秋・冬の 山」の植栽区域があり、四季折々に花や 木が楽しめます。 住 所 / 足立区柳原1丁目21-26 電 話: 03-3880-5845 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 地域ネコちゃんです! ![]() ![]() |
台 東 区(東京都) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ・ 平成中村座発祥の地記念碑 記念碑の高さは十八世勘三郎の背丈と同 じで、「一味徒党の連判状」と題して、 募金者の氏名を記した巻物が碑の下に納 められています。記念碑の建立にあわせ て浅草公会堂前に勘三郎の顔を模した 「鼠小僧の像」の除幕式も行われました。 住 所 / 台東区浅草7丁目1番 隅田公園 ![]() ![]() ![]()
![]() 中村勘三郎ねづみ小僧の像 ![]() ![]() ![]() ・ 花 の 碑 武島羽衣作詞、滝廉太郎作曲の唱歌であ る「花」を記念して. 昭和31年(1956 年)に建立されました。 住所 / 台東区浅草7丁目1番 隅田公園 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
・ 正岡子規の歌碑 雪の日の隅田は青し都鳥 ![]() ![]() ・ 文 庫 屋 大 関 お店の中は異次元の世界!素晴らしい 沢山の作品に出会えます。 高級革財布、ハンドバッグ、 アクセサリーなどの小物類を販売。 文庫革は漆を使った皮革工芸品です。 住 所 / 台東区浅草浅草2丁目2?6 電 話 / 03-6802-8380 定 休 日 / 水曜日 営業時間 / AM 10:00 〜 PM 18:00 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 文庫屋「大関」 墨田区向島1-15-9 TEL:03-3625-8238 ![]() ![]() ![]() ![]() ・ 正式には本龍院といい、浅草寺の支院の ひとつである。古くから名所として文人 墨客に愛され、多くの絵画や歌の題材と なった。歌川広重の絵に描かれている 築地塀も境内に残っている。 住 所 : 台東区浅草7丁目4?1 電 話: 03-3874-2030 時 間: 6:00〜 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
![]() ![]() ![]() ![]() ・ 池波正太郎生誕の地 ![]() ![]()
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![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ・ 戸 田 茂 睡 歌 碑 あはれとは夕越えて行く人も見よ まつちの山に残すことの葉 ![]() ![]() 日本藝術院会員 佐々木信綱の撰文による 歌碑再建の碑
・ 「東京風景六 待乳山から隅田川」 大正五年 (1916) 5月 織田一麿 画 ![]() ![]() ・ 糸 塚
・ 台東区立山谷堀公園 かつて山谷堀と呼ばれる水路でしたが、 経済成長に伴う水質汚濁と悪臭の為、昭和51年(1976)頃から暗渠化されました。 住 所 : 台東区東浅草1丁目4?9 ![]() ![]() ![]()
![]() ![]() ・ 今 戸 橋 跡 山谷堀の最も下流、隅田川と山谷堀が合 流するところに架かっていた橋で、山谷 堀が埋め立てられた為、親柱が記念に 残っています。 住所 / 台東区浅草7丁目4番 隅田公園 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
・ 竹 屋 の 渡 し 「竹家の渡し」、「向島の渡し」とも称 され、待乳山聖天のふもとにあったこと から「待乳(まつち)の渡し」とも称さ れた。「竹屋」の名は付近にあった茶屋 の名に由来する。山谷堀から 向島三囲 (みめぐり)神社(墨田区向島二丁目) を結んでいた。 台東区浅草7丁目1番 隅田公園 ![]() ![]() ![]()
・ 山 の 宿 の 渡 し 渡しのあった花川戸河岸付近は「山の 宿町」と呼ばれ、その町名をとって命 名されました。花川戸の渡しと称され たり、東岸の船着場が北十間川の枕橋 のたもとにあったので「枕橋の渡し」 とも称されました。 住所 / 台東区花川戸1丁目1 ![]() ![]() ![]() ![]() 山 の 宿 の 渡 し 台東区花川戸1丁目1番 隅田川渡船の一つに、「山の宿の渡し 」と呼ぶ渡船があった。 明治40年(190 7)発行の「東京市浅草区全図」は、 隅 田川に船路を描き、「山ノ宿ノ渡,枕 橋ノ渡トモ云」と記入している。位置 は吾妻橋上流約250メートル。 浅草区 花川戸河岸・本所区中ノ郷瓦町間を結 んでいた。花川戸河岸西隣の町名を 、「山の宿町」といった。渡しの名 はその町名をとって命名。 別称は、 東岸船着場が枕橋橋畔にあったのに ちなむ。 枕橋は 墨田区内現存の北十 間川架橋。北十間川の隅田川合流点近 くに架設されている。渡船創設年代は 不明。枕橋上流隅田河岸は、 江戸中期 頃から墨堤と呼ばれ、行楽地として賑 わった。桜の季節は特に人出が多く、 山の宿の渡しは それらの人を墨堤に運 んだであろう。したがって、江戸中期 以降開設とみなせるが、 天明元年(1781 )作「隅田川両岸一覧図絵」は この渡 しを描いていない。 平成4年11月 台東区教育委員会 Yamanoshuku no Watashi Ferry In the days when ferries crossed the Sumida River there was a ferry called the “Yamanoshuku no Watashi” (the word “watashi” means ferry). In a map printed in 1907 ferry routes are shown, and “Yamanoshuku no watashi”, which was also known as “Makura-bashi no Watashi” is mentioned. The ferry route was approximately 250 metres upstream of Azuma-bashi Bridge and linked the river-bank at Hanakawado with the Nakanogo Kawaramachi area. The name of the ferry is derived from the name of the district of Yamanoshuku which was tothe west of the riverbank at Hanakawado. The alternative name is connected to the fact that the arrivel point on the eastern bank of the river was at the approach to Makura-bashi Bridge.Makura-bashi Bridge stands near to the point where Kitajikken River from Sumi-da ward flows into the Sumida River. It is not clear which the ferry serving this route was started. From about the mid Edo period (around the 1890s), the bank of the Sumida River upstream of Makura- bashi Bridge was popular as a site for cherry blossom viewing. ・ madei までい (ご飯×カフェ) 又食べてみたいというハンバーグランチ に出合いました! 食材も豊富で嬉しいお値段です。 待乳山聖天様の前です。 住 所 / 台東区浅草7-3-12 電 話 / 03-6802-4590 営業時間 / AM 11:30 〜 PM 6:00 定 休 日 / 月曜・火曜日 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ・ あんこやさんのアンパン ア ン デ ス (株)的場製餡所のアンテナショップ として、様々な種類のあんパン及び餡 を製造・販売しいます。 住所 / 台東区浅草3-3-2 電話 / 03-3876-2569 営業時間 / AM 8:00 〜 PM 6:30 定休日 / 日曜・祝日 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
小 江 戸 川 越 (埼玉県)![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ・ 川越城 本丸御殿 日本で2つしか現存しない本丸御殿。 嘉永元年(1848)、時の藩主松平斉典が 造営したもので、江戸時代17万石を誇っ た川越城唯一の遺構。 なんと100円で見学ができます。 埼玉県川越市郭町2丁目13?1 営 業 / 10:00〜17:00 電 話 / 049-222-5399 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ・ 三 芳 野 神 社(県指定文化財) 三芳野神社は、川越城の鎮守として寛永 元年(1624)、後の城主酒井忠勝によって 再建されたといわれています。 童歌「通りゃんせ」はこの神社の参道が 舞台といわれていて、川越城内にあった ため、一般の人の参詣はなかなか難し く、その様子が歌われていると伝えられ ています。 住 所 : 川越市郭町2丁目25?7 電 話: 049-224-5940 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ・ 川越城中ノ門堀跡 川越城への適の侵入を防ぐために設けら れた中の門堀は、明治以降、川越城の多 くの施設・建物が取り壊され、旧城内に 残る唯一の堀跡となりました。構築当時 の勾配を復元し、城の雰囲気を思わせる 土塀等が設置されています。 住 所 : 川越市郭町1丁目8?6 電 話: 049-224-6097 時 間 : 9:00〜17:00 無 料 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
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・ 太 田 道 灌 像 太田道灌は、川越城、江戸城を築城した 室町時代の武将で、道灌の像が建てられ ている場所はかつて川越城の大手門があ ったところです。中学生の観光ボランテ ィアガイドの説明がわかりやすくて癒さ れました。 住 所:川越市元町1丁目3番地1 電 話:049-224-8811 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ・ 松 村 屋 旅 館 明治初期の廃藩置県が行われた直後1872 年創業に創業、150年くらいの歴史があり、川越藩で最後の藩主であった 松が名前の由来だそうです。戦時中は 軍事会議にも使われていました。 埼玉県川越市元町1丁目1-11 電 話 / 049-222-0107 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 今井ムラさんが福沢桃介さんより頂 いた直筆入りの写真 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ・ 川 越 氷 川 神 社 東参道にそびえる高さ15mの明神型の大 鳥居は、木製としては日本最大級の規模 を誇る。鳥居中央の扁額に記された社号 は勝海舟の直筆によるもの。欽明天皇2 年に創建されました。 住 所 : 川越市宮下町2丁目11?3 電 話: 049-224-0589 時 間 : 9:00〜 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 旧 ![]() ![]()
![]() ![]() ・ 道 灌 橋 太田道灌に由来する橋名で、テラス状の 張り出し部分には道灌が川越の領主だっ た頃に詠まれた歌の和歌が彫られている (七重八重花は咲けどもやまぶきの 実の(蓑)ひとつだになきぞ悲しき) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ・ 真 行 寺 至誠山成就院眞行寺は、武田信玄の妹 (娘か?)眞行尼が当地へ落ち延び、 当所で一寺を建立、武田勝頼の子息が 二世となったといわれてます。 住 所 : 川越市元町1-2 電 話 : 049-222-2816 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ・ 大沢家住宅(国指定重要文化財) 明治26年の川越大火の焼失を免れた川越 最古の蔵造りで、現存する関東地方最古 の蔵造りでもある。昭和46年6月22日に 国指定重要文化財に認定されました。 お土産品を購入出来ますが、一味違う所 が好きです! 所在地 : 川越市元町1-15-2. ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ・ 旧 山 ア 家 別 邸 老舗菓子店「龜屋」の五代目山崎嘉七氏 の隠居所として、数寄屋建築にも精通し た建築家の保岡勝也氏の設計で建てられ ました。 住 所 : 川越市松江町2丁目7番地8 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ・ 料 亭 山 屋 (高級会席・懐石料理店) 明治初年創業の日本料理店で、約千坪の 中庭を囲んで7つの個室があり、昼は ランチ弁当、夜は会席料理が 用意されています。 住 所 : 川越市幸町11-2 電 話 : 049-224-0048 営業時 間 : 11:30〜 21:00 駐車場 15台 定休日:毎週月曜日(祝祭日の場合を除く) 不定期で、月に2〜3日 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 左側の電子柱が木目地でカバーされて、 嬉しかったですね! ![]() ![]() ![]() ![]() ・ 百 足 屋 川越市指定有形文化財である田口家住宅。 「百足屋(むかでや)」という屋号で寛永 16年(1639年)に創業され、糸や組紐の 販売、鰹節問屋として人々に親しまれて きました。 住 所 : 川越市松江町2-5-11 電 話:049-292-0075 【営業時間】11:30〜17:00 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 情緒満点の入口! ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 古の戸の硝子がとても美しかった! ![]() ![]() ![]() 墨を混ぜて塗った壁、ピカピカ 光ってきれいでした。 ![]() ![]() 離 れ ![]() ![]() ![]() ![]() 我此土安穏天人常充満という文字が 蔵の扉に書かれてました。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ・ 川 越 大 師 喜 多 院 天長七年(830)、慈覚大師円仁により創建 された星野山無量寿寺が始まりとされる 住 所 : 川越市小仙波町1-20-1 電話:049-222-0859(喜多院拝観寺務所) お問い合わせ時間 9:00〜16:00 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ・ ど ろ ぼ う 橋 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
・ 中 院 天台宗の寺院で、山号は星野山。 寺号は無量寿寺。院号が中院。 平安時代、淳和天皇の勅許で円仁 (慈覚大師)が建立しました。 狭山茶発祥の地といわれ、円仁が創健 の際、京より茶の実を持ってきて境内 で栽培したのが始まりだそうです。 文豪 島崎藤村が義母(加藤みき)に 贈った茶室(不染亭)があり、市の文化 財に指定されています。 住 所 : 川越市仙波町5-15-1 ![]() ![]()
![]() 薬 師 堂 仙波の里、星野山無量寿寺仏地院中院 には昔時三堂の御堂が共存していた。 本堂・釈迦堂・薬師堂がそれである。 三堂にある本尊が三体揃うことで過去 ・現在・未来を担うと考えられている。それは即ち未来永劫に亘って輝く法の 灯を記念してのことである。昭和の中 期に釈迦堂・薬師堂の両堂とも火災に よって焼失したが、釈迦堂は昭和58年 に古の天台様式に則って再築された。 ここに建立されし薬師堂は現代的な様 式にし、薬師如来をはじめ十三仏を荘 厳に祀り、参拝する人誰しもが心から 安らげる空間と清新さに重きを置い た。以上の歴史的背景と意義を深く 思念し、永く後世に伝うべくここに 由来を附して記念碑を建立す。 平成24年 第68世 住職 仁平 雄俊 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
![]() ![]() ・ 永島家住宅(武家屋敷) 川越城南大手門近くの侍町であった三久 保町(旧南久保町)に残る、江戸時代後 期の川越藩御典医の武家屋敷で、 毎週土曜日9時~4時迄見学できます。 川越まつりの10月15・16日(土曜・ 日曜)の両日とも公開されます。 住 所 : 川越市三久保町5丁目3 時 間 : 9:00〜16:00 無 料 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
![]() ![]() ・ 時 の 鐘 (川越市指定文化財) 時の鐘は、川越城主酒井忠勝が寛永4年 (1627)から寛永11年(1634)の間に、 現在の場所に建てたものが最初といわれ ています。現在の鐘楼は、明治26年(18 93)に起きた川越大火の翌年に再建され たそうです。 住 所 : 川越市幸町15?7 電 話:049-224-6097 (川越市教育委員会) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ・ 川 越 菓 舗 道 灌 大正10年川越城跡に店舗を構えた老舗の 菓子店で、名前は川越城を築城した太田 道灌からきています。店頭の大きな白ウ サギは発泡スチロールでできています。 玄米を使用したお饅頭は日本唯一「道灌 まんじゅう」だけだそうです。 住 所 : 川越市郭町2-11-3 電 話:049-222-1576 営業時間:9:00〜17:30 定休日:月 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ・ 川越陣力屋 (浪漫石焼) 店 舗 営業時間 11:00〜16:00 定 休 日 毎週水曜日、 その他: 12月30日・31日 人 力 車 営業時間:10:00〜16:00 定 休 日 :年中無休。 但し年末年始を除く その他不定休あり 住 所 : 川越市連雀町11-5 電 話 : 049-225-1015 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ・ か の ん(鐘つきたこせん) 大きなえびせんべい2枚にたこ焼きが はさまった鐘つきたこせんが人気です! 住 所 : 川越市幸町15-7 電 話 : 049-225-5952 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ・ 小 江 戸 川 越 屋 アンティーク、昭和レトロ商品の専門店 菓子屋横丁脇の門前通り(養寿院前)に あります 住 所 : 川越市幸町9-2 電 話 : 049-257-5262 時 間 :AM11:00〜4:00 年中無休(雨天休業) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ・ 銀 時 フルーツをふんだんに使ったスイーツの お店、毎日メニューが変わります。 看板から美味しい!が ほとばしり出ていました。 住 所 : 川越市仲町10-8 電 話: 049-298-7732 営業時間:11:00〜17:00 定休日:インスタでお知らせとのこと ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ・ 養 寿 院 (曹洞宗・清龍山) 寛元二年(1244年)、 秩父平氏の末裔 河越次郎経重公(遠江守)が開基とな り、大阿闍梨圓慶法印が開いた古刹で ある。 文化財: 銅鐘(国の重要文化財工芸品) 住 所 : 川越市元町2丁目11?1 電 話 : 049-222-0846 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ・ 菓 子 屋 横 丁 色とりどりのガラスが散りばめられた石畳 の道に、約30軒程度の菓子屋などが あります。 住 所 : 川越市元町2丁目 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ・ 川 越 熊 野 神 社 1590年に紀州熊野から分祀されました 足踏み用の石畳が印象的でした。 住 所 : 川越市連雀町17-1 電 話 : 049-225-4975 営業開始 : 9:00 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ・ 小 江 戸 川 越 街 角 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |