スカイ姫のつぶやき19(日本・墨田区)
遠 征 版
千代田区
江 東 区
台東 区
足 立 区
文 京 区
小江戸川越(埼玉県)
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文 京 区 (東京都)
春日局の終焉の地 哲学館跡
湯島天満宮 (湯島天神)
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春 日 局 の 終 焉 の 地 哲 学 館 跡 臨済宗妙心寺派 天澤山 麟 祥 院 徳川家光の乳母として知られる春日局の菩提寺で、 周囲にカラタチの生垣をめぐらせていたので 「からたち寺」とも呼ばれる。 山号は天沢山 妙心寺派江戸四箇寺の1つ 住 所:東京都文京区湯島4丁目1−8 電 話: 03-3811-7648 |






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湯島天満宮 (湯島天神) 学問の神様・菅原道真公を祀る神社で、湯島天神と呼ばれ 梅の名所としても有名です。 境内には、銅製の鳥居(都指定文化財)や迷子探しの 奇縁氷人石(区指定文化財)があります。 1995年には社殿が総檜造りで改築されました。 住 所:東京都文京区湯島3-30-1 電 話: 03-03-3836-0753 |





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切 通 坂(きりどおしざか) 湯島三丁目30と四丁目6の間 「御府内備考」には「 の坂なり、是後年往来を開きし所なればいふなるべし。本郷三、四丁目の間より 池 方面への交通の便を考え、 新しく切り開いてできた坂なので、その名がある。初め は急な石ころ道であったが、明治37年(1904)上野広小路と本郷三丁目間に、電車 が開通してゆるやかになった。映画の主題歌「湯島の 灯 間借りしていた ある。 二晩おきに夜の一時頃に切り通しの坂を上りしも 勤めなればかな 石川 啄木 ― 郷土愛をはぐくむ文化財― 文京区教育委員会 平成11年3月 |

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この歌は、 (一九一〇)の作で、『 原稿ノートの自筆を 郷二ノ三八ノ九・新井理髪店)二階に間借りしていた。そして、一家五人を養うた め、朝日新聞社に校正係として勤務し、二晩おきに には、終電車で上野の広小路まで来たが、本郷三丁目行きの電車はもう終っている 。湯島神社の石垣をまさぐりながら、暗い 思いを抱いて上ったことであろう。喜之床での二年二か月の特に後半は、啄木文学 が最高に の実感を伝えている。文京区内で、最後に残っていた啄木ゆかりの家 "喜之床" が、 この三月十八日に、犬山市の博物館「明治村」に移築、公開された。 昭和五十五年五月三日 文京区教育委員会 |
国民公園 皇居外苑半蔵門園地
鶴 屋 八 幡
きのこカフェ
DIAMOND HOTEL
海 嶽 楼 跡
大學眼鏡研究所
樋口一葉生誕の地![]() |
樋口一葉生誕の地 千代田区立内幸町ホールの入口脇の植え込みに記念碑が たっています。小説「にごりえ」や「たけくらべ」などで 有名な明治を代表する女性作家で5,000円札の顔としても 知られています。 住 所 / 東京都千代田区内幸町1-5-1 |



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国民公園 皇居外苑半蔵門園地 駐日英国大使館の敷地の一部が日本に返還され、 公園(皇居外苑)になります 住 所 / 東京都千代田区麹町1丁目12−10 |






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海 嶽 楼 跡 1865年(慶応元年)、幕末の儒学者安井息軒は半蔵門外の 旗本伊庭家の屋敷に居を構え、西に富嶽(富士山)を望み、 東に金杉の海が見える所から、海嶽楼と名付けました。 安井息軒は宮崎県郷土先覚者で清武では明教堂、飫肥城下では 振徳堂で子弟の教育に励み、江戸に出て私塾・三計塾を開塾、 次世代を担う優れた人材を多く輩出しました。 自らも学者とし ての最高地位「幕府儒官」となり、 息軒の大成した儒学の考え は、江戸期における学問の集大成と高く評価されています。 住 所 / 東京都千代田区麹町1番町 |
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1865年(慶応元年)、幕末の儒学者安井息軒は半蔵門外の旗本 伊庭家の屋敷に居を構え、西に富嶽(富士山)を望み、東に金杉 の海が見える所から、海嶽楼と名付けました。 息軒は日向飫肥藩(現在の宮崎県)の藩士の子として生まれ、 1819年(文政2年)に大坂に出て儒学者の篠崎小竹の弟子と なりました。1824年(文政7年)江戸に出て昌平坂学問所に入 り、儒学者の松崎慊堂に師事します。1839年(天保10年)、 袋二番町(現在の千代田区一番町)に三計塾を開き、次世代を 担う優れた人材を数多く輩出しました。1861年(文久元年) には、幕府に召し出されて儒官に任じられています。飫肥と 東京にて門弟教育に力を注いだ息軒は、1876年(明治9年)東京 で亡くなりましたなお海嶽楼は、1868年(明治元年)の火災に よって残念ながら焼失してしまいました。 |
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き の こ カフェ 岡山と東京で展開するきのこ グループの多様な施設と事業所です。 数ある梅の品種の中でも果実が最高級とされる 南高梅の梅干しが手頃な値段で購入出来ます。 珈琲の安さに嬉しい喜び! 住 所 / 東京都千代田区麹町2丁目14-3 電 話 / 03-3222-8750 |




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鶴 屋 八 幡 東京麹町店 元禄15年(1702)創業で、老舗菓子店虎屋伊織が鶴屋八幡 の前身です。店の間口は六、七間もあり、その隆盛ぶりは 『東海道中膝栗毛』に登場し、『摂津名所図会』寛政10年 (1798)には、百花群がる盛況ぶりが描かれています。 住 所 / 東京都千代田区麹町2-4 電 話 / 03-3263-7766 定 休 日 / 日曜 定休日(除外日有) 営業時間 / 月~金 9:00~18:30 /土・日・祝 9:00~17:30 |



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DIAMOND HOTEL 皇居半蔵門の近くで、英国大使館のはす向かいです。 公式サイトからの予約がお得! 火曜 、木曜はハッピーデイです。 住 所 /東京都千代田区麹町1-10-3 電 話 / 03-3623-2211 |



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大 學 眼 鏡 2024年1月1日より大学眼鏡研究所から大学眼鏡として新たな スタートをきりました。 40代からの『眼を守る』ために『かけ続けてラク』なメガネ を研究し続けて42年。免許センーで使われてい専門的な 検査器も取り揃え、眼とメガネに悩む良き相談所です。 住 所 /東京都千代田区麹町麹町1ー6−9 電 話 / 03-3234-0011 時 間 / 10:00~18:00 年中無休(年末年始のみ定休) |




江東区芭蕉記念館
芭蕉庵史跡展望庭園
渋沢栄一旧居跡
亀戸天神社
清 洲 橋
佐久間象山砲術塾跡
小松橋・扇橋
中川船番所資料館
亀戸梅屋敷跡
亀戸梅屋敷
亀戸銭座跡
亀 戸 升 本
元祖くず餅船 橋 屋
江戸懐石・若 福
京菓子・彦 九 郎 (新 大 橋 店)
萩 寺 ![]() |
龍 眼 寺 (天台宗 慈雲山 無量院)萩寺 江戸初期に、住職が百種類もの萩を諸国から集めて 境内に植えたことから、通称“萩寺”として多くの 文人墨客が訪れ、「江戸名所図会」には萩を愛でる 人々で賑わう様子が描かれています。 住 所 / 東京都江東区亀戸3丁目34−2 電 話 / 03-3681-2620 |











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亀 戸 梅 屋 敷 跡 江戸時代、呉服商・伊勢屋彦右衛門の別荘「清香庵」があり、 広さ3600坪の庭園に300株にものぼる見事な梅の木々が生えて いました。特に庭園のなかを数十丈(150m)にわたり枝が 地中に入ったり出たりする一本の梅が名高く、評判を聞きつけ この地を訪れた水戸光圀は、まるで竜が臥しているようである と感嘆し、その木に「臥竜梅」の名を与えました。また、 八代将軍・徳川吉宗は、一旦土に入った枝が、再び地上に這い 出る様を生命の循環になぞらえ、「世継ぎの梅」と命名し賞賛 したそうです。 住 所 / 東京都江東区亀戸3丁目51−10 |


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江東区登録史跡 梅屋敷跡 ~江戸第一の名木 臥龍梅~ 亀戸三~四十・五十~五十三 亀戸の梅屋敷は、江戸時代から続く梅の名所で、花が咲く頃には多くの人々でにぎわっ た近郊の行楽地でした。その様子は『江戸名所図会』などで紹介され、またたくさんの 浮世絵にも描かれました。とりわけ、歌川広重の『名所江戸百景 亀戸梅屋敷』は傑作 の一つで、ファン・ゴッホが描写したことでも有名です。もとは、本所石原(墨田区) あたりで酒造業を営んでいた伊勢屋彦右衛門の別荘でした。その後、庭内の梅が数百株 にもなり、なかでも『臥龍梅』と名付けられた一株は、まるで龍が臥しているかのよう に枝が垂れて地中に入り、また根を生じるという奇木で、『江戸第一の名木』(『東都 歳時記』)と賞され、水戸光圀が命名したとも伝えられています。享保九年(一七二四) 二月、八代将軍徳川吉宗が鷹狩の際に初めて梅屋敷を訪れて臥龍梅を鑑賞しています。 以降、梅屋敷は将軍の小休所となり、御用として毎年梅の実一五〇〇個を江戸城へ納め るようになりました。明治四三年(一九一〇)の大洪水の被害を受けて旧観が損なわれた ものの、大正の末頃までは近隣に清らかな梅の香りをただよわせていました。 江東区教育委員会 |
![]() 東都名所 亀戸梅屋舗全図 歌川 広重 初代 |
![]() 名所江戸百景 亀戸梅屋舗 歌川広重 初代 浮世絵師・歌川広重が安政三年(1857年)に描いた 『名所江戸百景』の「亀戸梅屋敷」は、江戸の時代 に海を越え、フィンセント・ファン・ゴッホが模写 (作品名「日本趣味:梅の花」/1887年)するな ど、世界から評価された傑作と言われている。 |
![]() 東都名所 亀戸梅屋舗ノ図 /歌川広重 初代 |
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![]() 東都名所 梅屋舖満花之図 歌川 広重 初代 |
![]() 江戸むらさき名所源氏 亀戸梅屋舖 見立梅かえ 歌川広重 初代 |
![]() 江戸自慢三十六興 梅やしき漬梅 歌川広重 2代 歌川国貞 初代 |
![]() 東都三十六景 亀戸梅やしき 歌川広重 2代 |
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亀 戸 梅 屋 敷 住 所 / 東京都江東区亀戸亀戸4丁目18−8 電 話 / 03-6802-9550 |




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亀 戸 天 神 社 一般には「亀戸の天神さま」「亀戸天満宮」と呼ばれ、 親しまれ、天満大神(菅原道眞公)、天菩日命(菅家の 祖神)を奉祀ししています。寛文3年(1663)に神殿・ 反橋、心字池など九州太宰府天満宮に模してつくられ たそうです。新東京百景に選ばれています。 梅まつり/2月中旬~3月中旬:藤まつり/4月下旬~5月上旬 菊祭り/10月下旬~11月下旬 住 所/ 東京都江東区亀戸3-6-1 電 話 / 03-3681-0010 |


![]() 銀世界東十二景 亀井戸天満宮境内一覧 歌川広重 初代 |
![]() 江戸高名会亭尽 亀戸裏門 歌川広重 初代 |
![]() 東都名所 亀戸天満宮境内全図 歌川広重 初代 |
![]() 江戸名所 亀井戸天神ふし 歌川広重 初代 |
![]() 東都名所合 亀井戸 歌川国貞 初代 |
江戸自慢三十六興 亀戸初卯詣 歌川広重 2代 歌川国貞 初代 |
![]() 名所江戸百景 亀戸天神境内 歌川広重 初代 |
![]() 江戸名勝図会 亀戸天神 歌川広重 2代 |
![]() 東都名所 亀井戸池中藤花之盛 歌川広重 初代 |
![]() 東都三十六景 亀戸天満宮 歌川広重 2代 |
![]() 亀戸藤乃景 歌川国貞 初代 |
![]() 亀戸藤ノ真盛 歌川国貞 初代 |
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江 戸 懐 石 若 福 由緒ある亀戸天神の境内に在り、窓から見える 絶景を楽しみながらお食事が頂けます 。 ・ランチメニューもあります。 住 所 / 東京都江東区亀戸3-6-4(亀戸天神内) 電 話 / 3685-3354 定 休 日 / 毎週月曜日 駐車場 / 完備 |







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元祖くず餅 船 橋 屋 亀戸天神参道に文化2年(西暦1805年)に開店した 亀戸天神前本店は創業から二百年あまりたちます。 住 所、フロア:東京都江東区亀戸3-2-14 電 話 / 03-3681-2784 営業時間 / 9:00~18:00 お召上がり/ 9:00~17:00 |




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亀 戸 銭 座 跡 「銭座絵巻」(享保13年(1728年))より銭座で行われ ていた銅貨製造工程のうち、平研(銅貨の表面を磨く) 作業をしている図(日本銀行貨幣博物館所蔵)の絵を 参考にして描かれたレリーフです。 寛永13年(1636年)に銅銭が本格的に鋳造されました。 そのため、幕末までに造られた銅銭は全て寛永通宝と 称し、「寛永通宝」の文字が打ち出されています。 住 所 / 東京都江東区亀戸2-6 |



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江 東 区 芭 蕉 記 念 館 3階の常設展示ではパネルなどにより、俳聖・芭蕉について わかりやすく展示しています。庭には芭蕉の句に詠まれた 草木が植えられており、四季折々の草花を楽しむことがで き、芭蕉庵を模した祠と芭蕉像及び句碑が3基あります。 開業: 1981年4月19日 営業時間:9:30~ 17:00 住 所 / 東京都江東区常盤1丁目6−3 電 話: 03-3631-1448 芭蕉歴史跡展望庭園分館→常盤1-1-3 |





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芭 蕉 庵 史 跡 展 望 庭 園 園内には芭蕉翁像と芭蕉庵を描いた絵のレリーフがあり、 隅田川と小名木川を臨むことができます。 閉園後は、芭蕉像がライトアップされます。 営業時間:9:15~ 14:30 入園料無料 住 所 / 東京都江東区常盤1丁目1−3 |






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渋 沢 栄 一 旧 居 跡 明治9年(1876)に屋敷を購入して修繕した後本邸と した所で、明治21年(1888)に本邸を中央区兜町に移 したのちは別邸として利用しました。 住 所 / 東京都江東区永代2-37 |

![]() 永代2-37 渋沢栄一は、明治から大正にかけての実業界の指導者です。 榛沢郡血洗島村 に仕え、のち幕臣となり渡欧しました。帰国後、明治政府のもとで大蔵省に出仕しましたが、明治六年 ( 一八七三 ) に実業界に転じ、以後、金融・産業・運輸などの分野で近代産業の確立に力をそそぎました。 晩年は社会公共事業に貢献し、昭和六年 ( 一九三一 ) 九二歳で没しました。栄一は、明治九年 ( 一八七六 ) に深川福住町 (永代二) の屋敷を購入し、修繕して本邸としました。同二一年 ( 一八八八 ) には、 明治二二年 ( 一八八九 ) から同三七年 ( 一九〇四 ) まで深川区会議員および区会議長を勤め、深川区の 発展のために尽力しました。また、早くから倉庫業の重要性に着目し、明治三十年 ( 一八九七 )、当地に 渋沢倉庫部を創業しました。大正五年 ( 一九一六 )、実業界を引退するまでに五百余の会社設立関与した といわれていますが、本区に関係するものでは、浅野セメント株式会社・東京人造肥料会社・汽車製造会 社・旭焼陶器組合などがあげられます。 平成二一年三月 江東区教育委員会 |

![]() 澁澤倉庫発祥の地 「わが国の商工業を正しく育成するためには、銀行・運送・保険などと共に倉庫業の完全な発達が 不可欠だ」日本資本主義の生みの親である、澁澤榮一は、右の信念のもと、明治三十年三月、私邸に 澁澤倉庫部を創業した。この地は、澁澤倉庫発祥の地である。澁澤榮一の生家は、現在の埼玉県深谷 市にあり、農業・養蚕の他に藍玉(染料)の製造、販売も家業としていた。この藍玉の商いをすると きに使用した記章が?(ちぎり・りうこ)であった。明治四十二年七月、澁澤倉庫部は澁澤倉庫株式会社 として組織を改めたが、この?の記章は、現在も「澁澤倉庫株式会社」の社章として受け継がれている。 澁澤シチィプレイス永代建築を記念し本碑を建立する。 平成十六年四月吉日 澁澤倉庫株式会社 |
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幕末の兵学者・思想家として著名な佐久間象山が 西洋砲術塾を開いた信濃国(長野県) 松代藩下屋敷があった場所です。 住 所 / 東京都江東区永代1-15-2 |


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深川の清澄町と日本橋中洲町の間に架けられたことから 清洲の名が付けられた清洲橋は、昭和三年(一九二八年) 三月に完成されました。ドイツのケルン大吊橋をモデル として関東大震災の帝都復興事業として計画され、平成 十九年(二〇〇七年)には昭和初期を 代表する橋として 永代橋、勝鬨橋とともに国の重要文化財に指定されました。 所在地: 東京都江東区清澄1丁目 ~中央区日本橋中洲 |

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小 松 橋 小名木川の新扇橋と小松橋間に位置し、東西の 水位差を調節して船の通航を可能にする施設です。 通航できる船舶は長さ90m、幅員8m、 高さA.P.+4.5m以下となります。 所 在 地→猿江二丁目~扇橋一丁目間小名木川 |



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江東区中川船番所資料館 (公益財団法人 江東区文化コミュニティー財団) 江戸時代、小名木川を通る船の取り締まりを行った中川船 番所跡の北側にたてられた資料館は、中川船番所の一部 を再現したジオラマ及び水運や江東区の歴史に関する 資料を収集、保存及び展示することにより区民の歴史や 文化に対する知的要求にこたえるために設置されました。 住 所 / 東京都江東区大島9-1-15 電 話 / 03-3636-9091 |









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亀戸 升 本 本 店亀戸大根のお店で両国他あちこちにあります。 住 所 / 東京都江東区亀戸4-18-9 電 話 / 3637-1533 定休日 / 毎週月曜日 |


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京菓子 彦 九 郎 新 大 橋 店 現店主の祖父が京都で創業し、昭和26年に東京人形町に 移店しました。その後兄弟分かれをして、平成16年に 新大橋店を、平成17年に甘酒横町店をオープンしました。 営業時間 日、火~土9:00~19:00 定休日 / 月曜日 住 所 / 東京都江東区新大橋1-4-16 電 話 / 03-3634-3633 |





平成中村座発祥の地記念碑
花 の 碑
正岡子規の句碑
アンデス
今 戸 橋 跡
台東区立山谷堀公園
竹屋の渡し
山の宿の渡し
文庫や大関
madei までい ![]() |
平成中村座発祥の地記念碑 記念碑の高さは十八世勘三郎の背丈と同じで、 「一味徒党の連判状」と題して、募金者の氏名を記した 巻物が碑の下に納められています。記念碑の建立にあわ せて浅草公会堂前に勘三郎の顔を模した「鼠小僧の像」 の除幕式も行われました。 住 所 : 東京都台東区浅草7丁目1番 隅田公園 |



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花 の 碑 武島羽衣作詞・滝廉太郎作曲「花」。武島羽衣は、 明治5年、日本橋の木綿問屋に生まれ、赤門派の詩人、 美文家として知られる人物である。明治33年、東京音楽 学校(現、東京芸術大学)教授である武島羽衣と、 同校の助教授、滝廉太郎とともに「花」を完成した。 羽衣28歳、滝廉太郎21歳の時であった。 住 所:東京都台東区浅草7丁目1番 隅田公園 |




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文 庫 屋 大 関 お店の中は異次元の世界!素晴らしい沢山の作品に出会えます。 姫路の牛革を使い、型押しをして、一筆一筆手作業で彩色を施し、 漆と真菰を使った錆入れの工程を経て、一枚一枚手作業で 仕上げていく伝統的な工程を頑なにこだわり続けています。 高級革財布、ハンドバッグ、アクセサリーなどの小物類を販売。 文庫革は漆を使った皮革工芸品です。 住 所 / 東京都台東区浅草浅草2丁目2−6 電 話 / 03-6802-8380 定 休 日 / 水曜日 営業時間 / AM 10:00 ~ PM 18:00 |







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正式には本龍院といい、浅草寺の支院のひとつである。 古くから名所として文人墨客に愛され、多くの絵画や歌 の題材となった。歌川広重の絵に描かれている築地塀も 境内に残っている。 住 所 :東京都台東区浅草7丁目4−1 電 話: 03-3874-2030 時 間: 6:00~ |









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旧町名由来案内 下町まちしるべ 旧 本町の起立年代は不祥である。寛文図に「聖天丁」と記載があるので、かなり 古く開かれた町である。町名は町内に待乳山聖天宮があるのにちなんだ。聖天 宮の正式な名称は本龍院といい、聖天宮は聖天を安置していることによる。 金龍山あるいは待乳山と号し、浅草寺の子院である。待乳山は隅田川西側の 小丘で、江戸時代から文人墨客に愛された景勝の地であった。聖天宮はこの 待乳山の上にある。「浅草聖天町」昭和23年(1948)に浅草山川町、同金龍 山下瓦町、同山ノ宿町の北隅を合して誕生した。「浅草聖天横町」浅草聖 天町の西側続地であり、町の地形から横丁とつけられた。起立年代はわか らないが浅草聖天町よりやや遅れてできたのであろう明治5年(1872) ,浅 草寺子院の遍照院を合併して町域を広 |









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台 東 区 立 山 谷 堀 公 園 かつて山谷堀と呼ばれる水路でしたが、経済成長に伴う 水質汚濁と悪臭の為、昭和51年(1976)頃から暗渠化 されました。 住 所 :東京都台東区東浅草1丁目4−9 |


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今 戸 橋 跡 山谷堀の最も下流、隅田川と山谷堀が合流する ところに架かっていた橋で、山谷堀が埋め立てられた 為、親柱が記念に残っています。 住 所:東京都台東区浅草7丁目4番 隅田公園 |


今 戸 橋 跡 Imado Bashi Bridge Ruins 今戸橋は、山谷堀がまだ堀であった頃に架けられた山谷堀最下流の橋です。最初に整備された 時期は不明ですが、江戸時代の資料に橋を架け渡すという記載が残っています。この橋の下を 吉原通いの船が通った頃には、その船を親不孝舟などといったといい、「今戸橋上より下を人 通る」というほどのにぎわいだったと言われています。現存する欄干は、大正15年(1926年)に 竣工した橋の欄干で、山谷堀の埋立てに伴い、昭和62年(1978年)現在のような形となりました。 |
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竹 屋 の 渡 し 「向島の渡し」とも称され、隅田川にあった渡し舟の ひとつ。待乳山聖天のふもとにあったことから 「 付近にあった茶屋の名に由来する。山谷堀口から 向島 住 所 : 東京都台東区浅草7丁目1番 隅田公園 |

![]() 台東区浅草7丁目1番 隅田公園 隅田川にあった渡し舟のひとつ。山谷堀口から 向島三囲(みめぐり)神社 (墨田区向島2丁目) の前あたりを結んでいた。明治40年刊の『東京案内』には『竹屋の渡』とあり、同年発行 『東京市浅草全図』では山谷堀入口南側から対岸へ船路を描き『待乳(まつち)ノ渡、竹家ノ 渡トモ云』と記しており、「竹屋の渡」とも、あるいは「待乳ノ渡し」とも呼ばれたようで ある。「竹屋」とは、この付近に竹屋という船宿があったためといわれ、「待乳」とは 待乳山(まつちやま)の麓にあたることに由来する。 「渡し」の創設年代は不明だが、 文政 年間 (1818-1830) の地図には、山谷堀に架かる「今戸はし」のかたわらに『竹屋のわたし』 の名が見える。江戸時代、隅田川をのぞむ今戸や橋場は風光明媚な地として知られ、さま ざまな文学や絵画の題材となり、その中には『竹屋の渡し』を描写したものも少なくない。 昭和3年言問橋の仮設にともない、渡し舟は廃止された。 平成14年3月 台東区教育委員会 The Ferry of Takeya The Ferry of Takeya, also called the Ferry of Matsuchi, was one of the many ferries operating on the Sumida River. It connected Sanyabori and Mukojima Mimeguri Shrine. The name Takeya is said to have been derived from the name of an inn in Sanyabori. The name “Matsuchi” came from the location of the ferry, which was below Matsuchiyama Shoden. It is unknown when the ferry service actually began, but the business continued until the Kototoi-bashi Bridge was constructed in the early Showa Era. |
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山 の 宿 の 渡 し 渡しのあった花川戸河岸付近は「山の宿町」と呼ばれ、 その町名をとって命名されました。花川戸の渡し と称されたり、東岸の船着場が北十間川の枕橋の たもとにあったので「枕橋の渡し」とも称されました。 住 所:東京都台東区花川戸1丁目1 |


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madei までい (ご飯×カフェ) 又食べてみたいというハンバーグランチに出合いました! 食材も豊富で嬉しいお値段です。待乳山聖天様の前です。 住 所 / 東京都台東区浅草7-3-12(テイトビル聖天1階) 電 話 / 03-6802-4590 営業時間 / AM 11:30 ~ PM 6:00 定 休 日 / 月曜・火曜日 |




![]() カレーライス |
![]() ブリダイコン |
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あんこやさんのアンパン ア ン デ ス 株式会社 的場製餡所のアンテナショップとして、 様々な種類のあんパン及び餡を製造・販売しいます。 住所 / 東京都台東区浅草3-3-2 電話 / 03-3876-2569 営業時間 / AM 8:00 ~ PM 6:30 定休日 / 日曜・祝日 |


千住宿歴史プチテラス
ギャラリー千住宿歴史プチテラス
千住名倉医院
横 山 家 住 宅
足立区立柳原千草園 ![]() |
千住宿歴史プチテラス 純和風の前庭と奥庭を配し、ツツジ、モミジ、ウメモドキ など四季折々の彩りが美しいプチテラスです。 千住宿・伝馬屋敷の面影をのこす、横山家の土蔵を “蔵造りのギャラリー”として復元しました。 住所 / 足立区千住河原町21ー11(千住大橋駅より徒歩3分) |
















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FLUX SHOW 「生々流転」フラックス展本日はご来場いただき誠にありがとうございます。 「誰が何と言おうと構わない。たとえ無言であっても(多くの場合そうであるのだが) 「美しき人」油彩 「荒川土手」油彩 「パッセンジャー」写真 「フラックス」印画紙版画 フラックス、流動。本展覧会のタイトル作品です。「アナ、カミールと私 2024年3月 石黒 英子 |






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千 住 名 倉 医 院 文化の遺産を伝えた。たたずまいと文化と美術を今に 伝える史跡である。 ギャラリー千住宿歴史プチテラス・生々流転 フラックス展 の帰り道で出会いました。旧日光街道の荒川の土手の 手前にあります。 住 所 / 足立区千住5-22-1 fax.03-3888-7713 |



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横 山 家 住 宅 横山家住宅(足立区登伝録有形民俗文化財)は、宿場町の名 残として、 住 所 / 東京都足立区千住4丁目28−1 |




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千住絵馬屋・吉田家 吉田家は江戸中期に際物問屋として開業し、 絵馬のほかにも行灯や凧などを作ってきました。 東京都足立区千住4丁目15−8 電話番号: 03-3880-5984 |


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足立区立柳原千草園 四季をテーマにした園内には、「春の広場」には ロウバイやさくら、「夏の庭」にはシャクナゲや アジサイ、「秋・冬の山」の植栽区域があり、 四季折々に花や木が楽しめます。 東京都足立区柳原1丁目21−26 電話: 03-3880-5845 |




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この公園は、製紙工場跡地を足立区が買収し、平成元年 |


川越城本丸御殿
川越城中ノ門堀跡
太田道灌公像
川越氷川神社
川越大師・喜多院
道 灌 橋
大沢家住宅
松村屋旅館
旧 山 﨑 家 別 邸
料 亭 山 家
百 足 屋
三芳野神社
永島家住宅
養 寿 院
中 院
真 行 寺
時 の 鐘
菓子屋横丁
川越熊野神社
川越菓舗道灌
川越陣力屋 (浪漫石焼)
どろぼう橋の由来
小江戸川越つぶやき街角
か の ん
小江戸川越屋![]() |
川越城 本丸御殿 日本で2つしか現存しない本丸御殿は嘉永元(1848)年に 時の藩主松平斉典が造営したもので、江戸時代17万石を 誇った川越城唯一の遺構。現存しているのは玄関部分と、 移築復元された家老詰所のみです.埼玉県指定文化財となっ ています。なんと100円で見学ができます。 住所 / 埼玉県川越市郭町2丁目13−1 営 業 : 10:00~17:00 電 話 / 049-222-5399 |

























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三 芳 野 神 社 三芳野神社は、川越城の鎮守として寛永元年(1624)、 後の城主酒井忠勝によって再建されたといわれています。 童歌「通りゃんせ」はこの神社の参道が舞台といわれて いて、川越城内にあったため、一般の人の参詣はなかな か難しく、その様子が歌われていると伝えられています。 住 所 : 埼玉県川越市郭町2丁目25−7 電 話: 049-224-5940 |





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川越城中ノ門堀跡 川越城への適の侵入を防ぐために設けられた中の門堀は、 明治以降、川越城の多くの施設・建物が取り壊され、旧 城内に残る唯一の堀跡となりました。構築当時の勾配を復 元し、城の雰囲気を思わせる土塀等が設置されています。 住 所 : 埼玉県川越市郭町1丁目8−6 電 話: 049-224-6097 時 間 : 9:00~17:00 無 料 |


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太 田 道 灌 公 像 太田道灌は、川越城、江戸城を築城した室町時代の 武将で、道灌の像が建てられている場所はかつて川越城 の大手門があったところです。中学生の観光ボランティア ガイドの説明がわかりやすくて癒されました。 住 所 : 埼玉県川越市元町1丁目3番地1 電 話:049-224-8811 |

太 田 道 灌 公 像 川越は、古代から、この地方の文化の中心であった。長禄元年(西暦14 57)に太田氏が川越城を築き、更に江戸城を築いて川越の文化を江戸に 移したので、川越は江戸の母と呼ばれた。明治以降も引続き埼玉県第一の都 府として、大正11年他に魁けて市制を施行した。ここに市制50周年を迎 えるに当り市庁舎を新築し、川越市開府の始祖とも仰ぐ太田道灌公の銅像を 建て、古き歴史を偲びつつ新しき未来を開こうとするものである。 |



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川 越 氷 川 神 社 今から約千五百年前(西暦541年)、古墳時代の欽明天皇二年に 創建されたと伝えられています。室町時代の長禄元(1457)年、 太田道真・道灌父子によって川越城が築城されて以来、城下の 守護神・藩領の総鎮守として歴代城主により篤く崇敬されました。 東参道にそびえる高さ15mの明神型の大鳥居は、木製としては 日本最大級の規模を誇る。鳥居中央の扁額に記された社号は 勝海舟の直筆によるもの。 住 所 : 埼玉県川越市宮下町2丁目11−3 電 話: 049-224-0589 時 間 : 9:00~ |







![]() 旧 所在地 川越市宮下町 この坂道は、明治時代まで上尾街道として人々が往還し、上尾街道はここから東に 水田地帯を貫いて入間川、荒川の流れを渡り、上尾宿(現在の上尾市)に至る中山道 の脇往還としても大切な役割を果たしていた。特に、川越と江戸を結ぶ「川越夜舟」 で名高い新河岸川の舟運が発展するまでは、荒川が物資流通の大動脈として盛んに利用 されたので、老袋河岸や上尾側の平方河岸も物資の集散場として栄えた。このため、 河岸に通じるこの街道は、人馬の往来がしきりであった。昔は、この坂の途中には 冷たい水の湧き出る泉があって、街道を行く人々の疲れをいやしたという。 昭和五十八年三月 川越市」 |

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道 灌 橋 太田道灌に由来する橋名で、テラス状の張り出し 部分には道灌が川越の領主だった頃に詠まれた歌 の和歌が彫られている。 (七重八重花は咲けどもやまぶきの 実の(蓑)ひとつだになきぞ悲しき) 住 所 : 川越市志多町 |




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真 行 寺 至誠山成就院眞行寺は、武田信玄の妹(娘か?) 眞行尼が当地へ落ち延び、当所で一寺を建立、武田勝頼 の子息が二世となったといわれています。 住 所 : 埼玉県川越市元町1-2 電 話 : 049-222-2816 |



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松 村 屋 旅 館 明治初期の廃藩置県が行われた直後1872年創業に創業、 150年くらいの歴史があります。川越藩で最後の藩主 であった 由来だそうです。戦時中は軍事会議にも使われて いました。 住 所 / 埼玉県川越市元町1丁目1-11 電 話 / 049-222-0107 |



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![]() 今井ムラさんが福沢桃介さんより頂いた 直筆入りの写真 |




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大 沢 家 住 宅 寛政4年(1792)呉服太物を商っていた近江屋西村半右衛門 が建てたもので、明治26年の川越大火の時も焼け残り、 現存する関東地方最古の蔵造りでもある。川越商人に 蔵造りを建てさせるきっかけになった建物の一つである。 昭和46年6月22日に国指定重要文化財に認定されました。 お土産品を購入出来ますが、一味違う所が好きです! 所在地 : 埼玉県川越市元町1-15-2. |


![]() 重要文化財・建造物 大 沢 家 住 宅 桟瓦葺、切妻造、二階建、間口六間、奥行四間半の店蔵造りである。一階は 店舗で二階前面には土格子があり、外観は全体的に簡素であって荘重な感が ある。この建造物は、川越城下町の中心部である札の辻の傍らにあって、 呉服太物の豪商近江屋半右衛門が寛政四年(1792)に店舗として建てたも のである。防火を目的とする土蔵造りの故にその後数度の大火にも類焼を まぬがれた。関東地方の町家の蔵造り、商家の古い例として、もっとも重要 な建造物である。なお、平成元年より平成四年にわたり、大規模な修理が行 なわれ、寛政四年当時の姿に復元された。 |





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旧 山 﨑 家 別 邸 老舗菓子店「龜屋」の五代目山崎嘉七氏の隠居所 として、大正期における中小住宅の普及発展に先駆的 かつ実践的に取り組み、数寄屋建築にも精通した 建築家保岡勝也の設計で建てられました。 住 所 : 埼玉県川越市松江町2丁目7番地8 |








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料 亭 山 屋 (高級会席・懐石料理店) 幕末より明治初年まで、関東を代表する伝説的な豪商第11代横田 五郎兵衛」の邸宅の地続きで、「仕出屋」を営んでおりました。明治 元年~二年(1968年~1969年)に、山屋の「初代半兵衛」が、横田 氏の別邸を譲り受け、それが現在の料亭山屋となっております。 千坪近い敷地の中に、その全盛期、富にあかして贅を尽くした この別邸は、川越藩主松平家をはじめとして多くの賓客を招き迎 えた貴賓館の名残りをとどめています。 昼はランチ弁当、夜は会席料理が用意されています。 住 所 : 埼玉県川越市幸町11-2 電 話: 049-224-0048 営業時 間 : 11:30~ 21:00 駐車場 15台 |

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![]() 左側の電子柱が木目地でカバーされています! |


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今から約380年前、寛永16年(1639年)に上松江町(現在の 松江町2丁目)に、田口 吉兵衛によって創業され、糸や組紐 の販売、鰹節問屋として人々に親しまれ、代々川越の町ととも に歩んできました。店蔵が明治29年12月、内蔵が明治41年 5月、外蔵が昭和3年6月に建てられ、もっとも古い 店蔵は、川越市指定文化財建造物に指定されています。 住 所 : 埼玉県川越市松江町2-5-11 電 話:049-292-0075 |













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川 越 大 師 喜 多 院 寛永15年(1638)1月の川越大火で現存の山門(寛永9年建立) を除き堂宇はすべて焼失しました。そこで3代将軍徳川家光公は 堀田加賀守正盛に命じてすぐに復興にかかり、江戸城紅葉山 (皇居)の別殿を移築して、客殿、書院等に当てました。 家光誕生の間、春日局化粧の間があるのはそのためです。 住 所 : 埼玉県川越市小仙波町1-20-1 電話:049-222-0859(喜多院拝観寺務所) お問い合わせ時間 9:00~16:00 |









![]() どろぼうばしの由来 所在地 川越市小仙波町一丁目 昔、この橋は、一本の丸木橋であったといわれ、これは、その頃の話である。 ここ喜多院と東照宮の境内地は御神領で、江戸幕府の御朱印地でもあり、川越藩 の町奉行ではとらえることができないことを知っていた一人の盗賊が、町奉行の 捕り方に追われ、この橋から境内に逃げこんだ。しかし、盗賊は寺男たちに捕え られ、寺僧に諭され悪いことがふりかかる恐しさを知った。盗賊は、厄除元三大師 に心から罪を許してもらえるよう祈り、ようやく真人間に立ち直ることができた。 そこで寺では幕府の寺社奉行にその処置を願い出たところ、無罪放免の許しが出た。 その後、町方の商家に奉公先を世話されると、全く悪事を働くことなくまじめに 一生を過ごしたという。この話は大師の無限の慈悲を物語る話として伝わっており、 それ以来、この橋を「どろうぼうばし 」というようになったということである。 昭和五十八年三月 埼玉県 |
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中 院 天台宗の寺院で、山号は星野山。寺号は無量寿寺。院号が中院。 平安時代、天長7(830)年淳和天皇の勅許で円仁(慈覚大師) が建立しました。狭山茶発祥の地といわれ、円仁が創健の際、 京より茶の実を持ってきて境内で栽培したのが起源です。 文豪 島崎藤村が義母(加藤みき)に贈った茶室(不染亭) があり、市の文化財に指定されています。 住 所 : 埼玉県川越市仙波町5-15-1 |


![]() 薬 師 堂 仙波の里、星野山無量寿寺仏地院中院には昔時三堂の御堂が共存していた。 本堂・釈迦堂・薬師堂がそれである。三堂にある本尊が三体揃うことで過去・ 現在・未来を担うと考えられている。それは即ち未来永劫に亘って輝く法の灯 を記念してのことである。昭和の中期に釈迦堂・薬師堂の両堂とも火災によっ て焼失したが、釈迦堂は昭和58年に古の天台様式に則って再築された。ここに 建立されし薬師堂は現代的な様式にし、薬師如来をはじめ十三仏を荘厳に祀り、 参拝する人誰しもが心から安らげる空間と清新さに重きを置いた。以上の歴史的 背景と意義を深く思念し、永く後世に伝うべくここに由来を附して記念碑を建立す。 平成24年 第68世 住職 仁平 雄俊 |

![]() 市指定・史跡 中院創立の縁起は喜多院と全く同じで、天長7年(830) 元来 多聞院と称していたものである。当初の中院は、現在の東照宮の地にあったが、寛永 10年(1633)東照宮建造の折りに現在地に移されたものである。喜多院に が来住する以前は、むしろ中院の方が勢力をもっていたことは、正安3年(1301) 秋元侯の家老太陽寺一族の墓、島崎藤村の義母加藤みきの墓などがある。 平成4年3月 川越市教育委員会 |

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永島家住宅(武家屋敷) 川越城南大手門近くの侍町であった三久保町(旧南久保町) に残る、江戸時代後期の川越藩御典医の武家屋敷で、 毎週土曜日9時~4時迄見学できます。川越まつりの10月15・ 16日(土曜・日曜)の両日とも公開されます。 住 所 : 埼玉県川越市三久保町5丁目3 時 間 : 9:00~16:00 無 料 |


![]() 永島家住宅(武家屋敷) (市指定・史跡) 永島家住宅は、旧南久保町通り東よりの、川越城南大手門に近い位置にあります。 伝聞によれば、旧川越藩 松平大和守家七代が川越藩主をつとめた明和4年(1767)~慶応2年(1866) 当時の城下絵図によると、この場所には250石から300石の藩士が居住しました。 当家屋の小屋組は の形態になるまで大きく2回の増改築を実施したと推測されます。当初形態を復元 すると、玄関及び台所の位置は不明ですが、現在の玄関から床の間付きの座敷に至る 諸室と東側に張り出す内向き諸室に分かれ、公私空間を区分した武家住宅の特質を残 す遺構と考えられます。 また、松平大和守家記録による武家住宅の建築規則(明和5年6月2日条)の範囲内 であり、他藩武家住宅の事例(信州上田藩ほか)と比較してもほぼ相違なく、武家住宅 であることにまちがいありません。 また、増改築の手が加えられているものの、当初形態に復元可能な建物であり、敷地 内は後年植栽が加えられていますが、屋敷回りなど当時の状況をよく保存しています。 現在埼玉県下三城下町(川越、忍、岩槻)では、武家屋敷の遺構はほとんど残されて いません、また、関東圏内でも残存事例はわずかで、学術的にも貴重な遺構と言えます。 平成18年3月27日指定 川越市教育委員会 |

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時 の 鐘 (川越市指定文化財) 創建された江戸時代の初期から、暮らしに欠かせない「時」を告げ てきた小江戸川越のシンボルの時の鐘は川越城主酒井忠勝が、寛永 4年(1627)から同11年(1634)の間に多賀町(いまの幸町)の現 在の場所に建てたものが最初といわれています。現在の鐘楼は、明治 26年(1893)に起きた川越大火の翌年に再建されたもので、平成8年 に、環境庁主催の残したい日本の音風景100選に選ばれました。 住 所 : 埼玉県川越市幸町15−7 電 話:049-224-6097 (川越市教育委員会) |


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養 寿 院 (曹洞宗・清龍山) 寛元二年(1244年)、 秩父平氏の末裔河越次郎経重公 (遠江守)が開基となり、大阿闍梨圓慶法印が開いた 古刹である。本堂にある銅鐘は、鎌倉の大仏を作った 丹治久友によるもの。銅鐘の「池の間」に刻まれた "河越"の文字は、川越の歴史上価値の高いものであり、 国の重要文化財に指定されています。 住 所 : 埼玉県川越市元町2丁目11−1 電 話 : 049-222-0846 |



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川 越 熊 野 神 社 「明細帳」という文献に、天正18年(1590年) 蓮馨寺二世然誉文応僧正が紀州熊野より勧請し たことに始まると記されています。地元の人から 「おくまんさま」と親しまれている神社です。 石の突起の足踏み健康ロードが印象的でした。 住 所 : 埼玉県川越市連雀町17-1 電 話 : 049-225-4975 営業開始: 9:00 |












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菓 子 屋 横 丁 明治の初めから菓子を製造していましたが、関東大震災で 被害を受けた東京に代わって駄菓子を製造供給するよう になり、昭和初期には70軒ほどの業者が軒を連ねていた といわれています。色とりどりのガラスが散りばめられた 石畳の道に、約20数軒軒程度の菓子屋があります。 住 所 : 埼玉県川越市元町2丁目11 営業開始: 10:00~ |




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小 江 戸 川 越 屋 アンティーク、昭和レトロ商品の専門店 菓子屋横丁脇の門前通り(養寿院前)にあります 住 所 : 埼玉県川越市幸町9-2 電 話 : 049-257-5262 時 間 :AM11:00~4:00 年中無休(雨天休業) |






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川 越 菓 舗 道 灌 大正10年川越城跡に店舗を構えた老舗の菓子店で、 名前は川越城を築城した太田道灌からきています。 店頭の大きな白ウサギは発泡スチロールでできています。 玄米を使用したお饅頭は日本唯一「道灌まんじゅう」 だけだそうです。 住 所 : 埼玉県川越市郭町2-11-3 電 話:049-222-1576 営業時間:9:00~17:30 定休日:月 |


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銀 時 フルーツをふんだんに使ったスイーツのお店 毎日メニューが変わります。 看板から美味しい!がほとばしり出ていました。 住 所 : 埼玉県川越市仲町10-8 電 話:049-298-7732 営業時間:11:00~17:00 定休日:お休みはインスタでお知らせとのこと |

![]() おけさ柿がなんと5玉で300円! |
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川越陣力屋 (浪漫石焼)
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か の ん(鐘つきたこせん) 鐘撞通りのかき氷屋さん 大きなえびせんべいの間にたこ焼きがはさまった 鐘つきたこせんが人気です! ゴミ箱がユニーク! 住 所 : 埼玉県川越市幸町15-7 電 話 : 049-225-5952 |


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