スカイ姫のつぶやき19
癒しの向島百花園・江戸の面影

         

向島百花園は仙台出身の骨董商北野屋平
兵衛こと佐原鞠塢が、文化2年(1805)
に当時の文人墨客の絵師酒井抱一や狂歌
師大田南畝らの協力を得て創設したのが
始まりとされています。360本もの梅の
木を植えたことから「新梅屋敷」と呼ば
れていました。大倉別邸の大倉喜八郎さ
んもよくお見えになったそうです。梅ま
つり、萩まつり、菊やさくら草の鑑賞会
、虫聞きの会等があり1年中楽しめます
。まろやかで上品な字で書かれた木札、
百花園の方々の向ける心も感じられ心癒
される場所です。


門周辺 庭門・四阿周辺

 献上七草籠・七草関係

御成座敷 桑の茶屋跡

すずめおどり・江戸大道芸

隅田川七福神 楽焼体験

 お 月 見・萩 庭散歩 

大輪朝顔 ・サクラソウ

  東郷菊和名発祥の地石碑集

毛筆で書かれた木札集


庭園の土台 2025年(令和7年)

島百花園周辺のランチのお店



隅 田 川 向 嶋 絵 図






絵本江戸土産 10編(1)
花屋敷 秋の花園
著者:松亭金水 解説[他]  
出版者:菊屋三郎[ほか]





寺島村百花園 秋の七?
タイトル:江戸歳事記 4巻 付録1巻. [2]
著者:齋藤月岑幸成 編[他]  出版者:須原屋佐助 [ほか12名]


 

向 島 百 花 園
別称・ 新梅屋敷 
化元(1804)年、骨董商の佐原菊塢が
梅やすすきなどの日本古来の草木を 集
め、幕臣の多賀家屋敷跡に造園した庭
園。名称は江戸後期の画家酒井抱 一が
「梅は百花のさきがけ」の意から名付
けたとされる。当初は360本の 梅が主
体で、亀戸梅屋敷に対して、新梅屋敷
とも呼ばれた。 現在は都営庭園となり
、国の史跡・名勝に指定されている。
時間 / 9時〜17時(最終入園は16時30分)
年間パスポート/一般:600円
          65才以上:280円  入場料/一般 120円  65才以上、50円
無料公開日 / みどりの日(5月4日)、
     都民の日(10月1日)
住 所 / 墨田区東向島3-18-3
電 話 / 03-3611-8705






向 島 百 花 園
Mukoujima-HyakkaenGarden
(Sumidagawa-shichifukujin)

山草・野草を中心とした文人趣味豊か
な江戸花園。 文人墨客が足しげく通い
、四季を通じてさまざ まな催し物が開
かれました。芭蕉句碑や山上憶 良歌碑
など多くの碑が立っています。また、
隅田川七福神の福禄寿が祀られて
います。
Mountain flowers and wildflowers
bloom mainly in this culturally sophisticated Edo-era flower garden. Writers and artists frequently visited
the garden, which held a variety of
events throughout the four seasons.
The site also features numerous
memorial monuments, such as a haiku
by Basho and a poem by Yamanoue
no Okura, as well as a statue of Fukurokuju, one of the seven gods
of fortune associated with the Sumda-gawa River.






























 向島百花園の四季折々の風景
春の七草・梅まつり・お月見の会・
萩まつり・茶会・虫ききの会

江戸の町人文化が花開いた文化・文政
期(1804〜1830年)に、骨董商を営
んでいた佐原鞠塢が、交游のあった
江戸の文人墨客の協力を得て、花の
咲く草木鑑賞を中心とした花園とし
て開園され、江戸庶民の行楽の場と
して盛況を得ていました。開設当時
、太田南畝をはじめとした文人墨客
が数多く常連客として訪れ、その後
も、11代将軍家斉公などの賓客、
明治の時代には、ご幼少時代の昭和
天皇、伊藤博文や乃木将軍など多く
の人々に愛されてきました。日本や
中国の詩の古典である「萬葉集」や
「詩経」の中にある植物を集めて文
学植物を全園に配し四季花たえるこ
とのない花園として、江戸時代か
ら明治時代まで庶民的花園として栄
えていたそうです。これからがなぜ
か楽しみです。
百花園とは、一説では「四季百花の乱
れ咲く園」という意味でつけられ、開
園当初は360本のウメが主体でした。
その後、詩経や万葉集など中国・日
本の古典に詠まれてい有名な植物を
集め、四季を通じて花が咲くように
なりました。唯一現代に残る江戸時
代の花園です。昭和13(1938)年、
永久保存のため所有者から東京市に
寄付され、翌14(1939)年に東京市が
有料で制限公開を開始。なお、昭和53(1978)年に文化財保護法により国
の名勝・史跡に指定されました。
       (百花園の栞より)
つぶやき
→程よい広さでマイガ
ーデンとして散策を楽しむことが
出来ます。

茶亭の椅子に座り、夏は木の緑に
囲まれ、木の葉の間から射してくる
まばゆい日の光を感じながらの氷の
味は格別です!秩父や日光の天然氷
を食べにいきたいと思っていました
が忘れさせてくれました。又御成り
座敷を利用される方にお弁当の手配
ををして下さっています。

向島の書家の方がボランティアで
毛筆で木札を書いて下さっています
。優しくてまろやかな字の木札には
癒されます。素敵な庭を造って下さ
り、有難うございます。これからも
宜しくお願いします




門  周 辺






















































































庭 門


詩人 大窪詩仏書(木版) 春夏秋冬花不断





蜀 山 人 の 扁 額





詩人 大窪詩仏書(木版) 東西南北客争来
























四 阿 周 辺

















































































献 上 七 草 籠
明治以来から続く習わしで、毎年新春に皇室に献上しています。 サービスセンター前にて展示





【献上七草籠】宮中と百花園の関係
七草籠は、開園当初(文化4年)より園主
が年末に籠に備えた春の七草(種)をお
得意様のお歳暮としてお届けしていま
した。明治期には正岡子規、乃木希典
、東郷平八郎、高橋是清などの著名人
も来園していて、(向島蔵春閣の「大倉
喜八郎」を語る」講演会では大倉喜八
郎もよく百花園にいかれたと講師の村
上勝彦先生がおっしゃっていました。)
その中に九条家(のちに大正皇后となら
れる方のご生家)がありました。皇太子
妃になられた後も宮中にお届けしてい
ました。これを契機に百花園は宮中へ
と七草籠をお届けするのが習わしと
なっています。






















七 草 関 係





















御 成 座 敷
松尾芭蕉のファンであった酒井抱一の設
計と伝えられている数寄屋造りの御成座
敷は、身分の高い武家や僧侶の 休憩場所
としてつかわれていました。創建当時の
御成り座敷は戦災によって焼失してしま
いましたが、 1958年に現在の集会施設と
して再建されました。将軍様がおいでに
なった「御成の間(10畳)」、「中の間
(8畳)」、 芭蕉の像が飾られていた
「芭蕉の間(8畳)」の三部屋があります。






























































桑 の 茶 屋 跡
明治時代に上野の博覧会で使用した
二階建ての建物があり、桑の木で作ら
れていたことから「桑の茶屋」と呼ば
れていました。












 




桑 の 茶 屋 跡
(The remain of Kuwa-no-Chaya)
ここには、明治時代に上野の博覧会
で使用した二階建ての建物があり、
桑の木で作られていたことから
「桑の茶屋」と呼ばれていました。
しかしながら、昭和20年(1945年)3月
の東京大空襲で百花園が壊滅的な打
撃をうけた時に、桑の茶屋は取り壊
されました。唯一建物に使用されて
いた欄干が御成座敷に残っています。
現在は、建物があった当初の面影は
縁石に残っているのみとなりますが
、園内における一番高い地形から眺
める水辺の景色が当時を偲ばせます。
参考:江戸の花屋敷

There was a building called “Kuwa-
no- Chaya” used for the National
industrial exhibition held by Meiji
era in Ueno. However, Mukojima-
Hyakkaen Gardens
received the destructive blowby the
Great Tokyo Air Raid in 1945, and
the Kuwa-no-Chaya was pulled dewn




 東郷菊 和名発祥の地






元帥(げんすい)がいただいた(きく)
(いま)から100年前(ねんまえ)の頃の
明治時代(めいじじだい)
日本(にほん)
(くに)は、(きた)にあるロシアの
国と戦争(せんそう)をしました。ロシア
からバルチック艦隊(かんたい)という大変
(たいへん)
(つよ)海軍(かいぐん)(おし)()せました。世界(せかい)
(ひと)が日本は()けると(おも)いましたが、その海軍を対馬(つしま)
(おき)
(やぶ)り、日本は勝ちまし
た。その(とき)とき、日本の海軍を
(しき)
したのが東郷平八郎(とうごうへいはちろう)さんで、元帥(げんすい)軍人(ぐんじん)の中で一番偉(いちばんえら)(ひと)なりました。東郷さんがイギリスのエドワード7(せい)戴冠式(たいかんしき)
(王様(おうさま)になる(しき))に出席(しゅっせき)した(とき)、ロンドンのキュー植物園(しょくぶつえん)
から(たね)をいただきました。日本に(かえっ)た東郷さんは、よく(あそび)
()っていた百花園でその種を(そだ)てることにしました。この(はな)は「東郷菊(とうごうぎく)
」と呼よばれ、8月(はちがつ)から10月(じゅうがつ)ごろまで、山吹色(やまぶきいろ)の花びらと茶色(ちゃいろ)花芯(かしん)(花の(まん)(なか)の花を咲さ
かせます。日本の菊は、()まれた国は(はな)れていますが東郷菊(とうごうぎく)の仲間です。

・百花園は東郷菊の和名発祥(わめいはっしょう)の地(ち)です。
注: この文では、植物の分類が同じ
「属」のものを兄弟、「科」が同じも
のを仲間と呼びます。

百花園探検カード NO003
制作 百花園サポート士隊
墨田区東向島3-18-3 向島百花園内
協力 向島百花園創設200周年行事実行委員会
 




す ず め 踊 り
・場所:佐原鞠塢茶店前  ※雨天中止
・内容:初代園主の佐原鞠鵜出身の地、
仙台が発祥で、墨田区ゆかりの浮世絵師、葛飾北斎が描いた「北斎漫画」にも登場
しているすずめ踊りを披露します。
・出演者プロフィール 福来雀(ふっくらすずめ)仙台出身の仲間が中心となり、都内
おいて「すずめ踊り」普及のため活動中。

「すずめ踊り」とは?
慶長8年(1603年)、仙台藩祖・伊達政宗
公の御前で大阪の堺からやってきた石工
職人が、宴席にて即興で踊った踊りが始
まりといわれている。踊る姿が餌をつい
ばむ雀に似ていることなどから「すずめ
踊り」と呼ばれている












江 戸 大 道 芸 
場所:佐原鞠塢の茶店前
出演:浅草雑芸団(あさくさざつげいだん)
内容:大黒舞い、放下芸ほうかげい等の
大道芸を披露します。

出演者プロフィール 浅草雑芸団
1985年に、「大道芸で遊ぼう」という
趣旨で始めた研究・実演団体。故・坂野
比呂志の指導を受け、がまの油売り、
飴売り、バナナの叩き売りなど坂野の
芸を継承する一方で、のぞきからくり
や、ろくろ首(見世物)の復元なども
行う。2001年より、祝福芸はるこまを
軸として、門付け芸や道行の芸能にも
挑戦。年に一度、日本の大道芸探訪の
舞台公演も行っている。













隅 田 川 七 福 神


















隅 田 川 七 福 神

文化元年(1804)向島百花園が開園し
てからここに集まる文人墨客たちが、
園主佐原鞠塢が福禄寿を祭っているの
を知り、この隅田川の東岸にも七福神
をそろわないものかと考え、七福神に
それぞれ縁故をもつ神社仏閣を探し出
した。そして、初春七草の間に寿福を
祝い、家門繁栄、家業隆盛を願う初参
りの行事を創始したのが、隅田川七福
神のはじまりである七福神の「七」と
いう数は、陽を表わす奇数であって、
古くから、めでたい数字とされている
七難即滅、七福即生、万姓安楽という
語句は七福神の語源ともいわれ、寿命
有福、清廉、愛敬、威光、大量の七つ
の神々を象徴するもので、心新たな年
頭にあたって参拝し、その年の至福を
祈念するならわしが七福神初詣でのい
われである。
昭和45年11月3日  建 立
   墨  田  区  
 




楽 焼 体 験


























お 月 見
































































大 輪 朝 顔









































サクラソウ































































庭 散 歩










































































































庭園の土台


















































 


つぶやき→名園にふさわしい木札
に変身!
以前はパソコンの字で癒しが感じられ
せんでした。百花園さん有難うござい
ます。木札に相応しい木を選び専門家
に依頼して裁断、ボランティアの習字
の先生に毛筆で書いて頂いた後、雨の
日の為にニスをぬって仕上げるという
手間暇をかけてくださっているのです
ね!。 






























































































































































































向島百花園の29基の石碑のうち、10基が
江戸時代に建てられています。残りの19
基は明治時代に建てられました。
開園10周年の文化11年(1814)に建てられ
たのが最も古い石碑です。








東 京 市 碑
向島百花園来由の碑(昭和14年7月建立)












福禄寿尊碑
隅 田 川(すみだがわ
七福神之内(しちふくのうち)
福禄寿尊(ふくろくじゅそん)

明治41年7月建立
















芭 蕉「春もやや〜」の句 碑
春もやや
けしき ととのう
   月と梅    はせお



























益 賀 句 碑
(とり)()
(みやこ)となりぬ
(うめ)
やしき
 千 樹 庵(せんじゅあん)
 益 賀
(ますが)
























■ 千寿庵益賀の句碑  
Monument of Verse by Senjuan Ekiga
「鳥の名の 都となりぬ 梅やしき」
百花園に関わる文人墨客の中でも鞠塢
と特に親交が深い酒井抱一の書による
ものです。句を詠んだ益賀のことは、
多くはわかりませんが、抱一の俳句の
師の孫弟子であり、同じ江戸座の俳句
仲間でした。抱一は、百花園のこと
を風雅な愛称で「都鳥庵*」と呼ん
でいたことから、そのイメージの句
を詠んだ益賀の句を書いたとのこと
す。
*都鳥・・・伊勢物語の東下りの中
で出てくる。ユリカモメのこと。
 百花園においては、隅田川焼きの
モチーフで多く使われている。
その他、文化11年には、金令舎道彦
の書の芭蕉の句碑
「こにやくの さしみもすこし 
うめの花」も建立されています。




墨沱梅荘記碑(すみだばいそうのき)
亀田鵬斉(かめだほうさい)














 







■ 墨沱(すみだ)梅荘(ばいそう)記(き)碑(ひ) 
“Sumida Baiso-Ki” (Record of the
japanese Apricot Garden in Sumida)
江戸の有数の儒学者であり、詩人また書
家として名高い亀(かめ)田(だ)鵬(ほう)斎(さい)斎の撰文ならびに書によります。漢文
で書かれており、この記によって百花園
の創設の時代を知ることができます。
この石碑の姿は、「江戸名所花暦」の
挿絵にも見ることができます。
墨沱(すみだ)・・・墨田川(隅田川)のこと、
梅(ばい)荘(そう)・・・梅屋敷のこと
【内 容(要点)】
『隅田川のほとりに新しい庭園・百花園
が開かれ、百株の梅が植えられたこと、
毎春咲く梅は大変美しいこと。10年が経
ち風雅を愛でる人、花を好む人が遊びに
来る場所となり、鵬斎自身もあらゆる時
に来ては楽しんだこと。ある月夜に百花
園で見た夢のこと (天女がやってきて
、梅を愛でる鵬斎を「梅花顛(ばいかてん)」と呼び、清らかな心を褒め、勧められた
盃を受け飲んだ)、眼が醒めた後、
「梅花顛(ばいかてん)」とは鞠塢こそ
相応しいと告げ、その言を記したのが
文化11年2月15日であったこと。』等が
記載されている。




雲山先生看梅詩碑











茶筅塚(ちゃせんづか)柘植黙翁(つげ) 句碑
おりたらん
 (くさ)(にしき)
   (はな)やしき

















芭蕉「こんにゃく」の句碑
こんにゃくのさしみも(すこ)
うめの(はな)
         はせを

















山上臣憶良(やなもうえのおみのおくら) 秋の七草の歌碑(かひ)
秋の野に 咲きたる花を 
指折(およびお)
かき数うれば 
七種(ななくさ)の花
(はぎ)の花 乎花葛(おばなくず)花 嬰麦(なでしこ)の花 
姫部志(おみなえし) また藤袴 朝貌(あさがお)の花
董堂け以芸書
窪 世 祥 鐫
董堂敬義の絶筆となった「秋の七草の
書」を残すために、遺言通り門人達に
よって百花園に建てられたもので董堂
が亡くなった文政4年(1821)の建碑
だそうです。























大窪詩仏画竹(おおくぼしぶつがちく)碑






 







■ 詩仏画竹碑 “Shibutsu Gachiku
-hi” (Monument of Bamboo Painting
by Shibutsu)
園内で最も有名な石碑。
幕末の大詩人で、梅と竹を描くことを
得意としていた大窪(おおくぼ)詩仏(しぶつ)の画竹に、詩人として名高い佐羽(さわ)淡斎(たんさい)が賛※を加えました。
碑の裏面には江戸の有名な儒学者であ
る朝川(あさかわ)善(ぜん)庵(あん)の撰
文、書家として著名な巻(まき)菱(りょう)湖(こ)が書いた「詩仏老人碑竹記」が
あります。さらに、石(いし)彫(ぼり)の
名人鏑(かぶら)木(ぎ)雲(うん)譚(たん)
が刀刻しており、まさに名人ぞろいの
碑といえます。
※・・・作品に書き加えられ、書作品
の一部とみなされる鑑賞文、賛辞。
【内 容(要点)】
 『詩仏は、梅を描いていたが、自分
に合わないと竹を描くようになったこ
と。竹を描けば詩を題し自書すること。その強く健やかな書、気高くあっさり
とした詩、すぐれた画に併せて、竹の
ような人となりを知るべきで、これこ
そ詩仏の面目であると。淡斎の詩にも
あるように、詩仏は精神を書画の中に
おいていること。詩仏が竹を描くこと
は詩仏の肖像であり、これを伝えるこ
とが建碑の目的であること。』等が
記載されている。日付は竹酔碑(旧
暦の5月13日)。




金令舎道彦句碑(きんれいしゃみちひこくひ)
今日(きょう)(つき)
 さても
()しまぬ
 光(ひかり)かな
         
美 知 彦(みちひこ)
















其角堂氷機句碑
朧夜(おぼろよ)やたれを
あるじの
墨陀川(すみだがわ)












し の ぶ 塚
隅田川(すみだがわ)二面(ふたおもて)よと歌舞伎(かぶき)にも浄瑠璃(じょうるり)にも()にもてはやされる
葱売(しのぶう)は、安永(あんえい)四とせ中村座(なかむらざ)春狂言(はるきょうげん)
初代中村仲蔵(しょだいなかむらなかぞう)(つと)め、(さき)河竹新七(かわたけしんしち)
(さく)なり。そが正本(しょうぼん)を、ある(ひと)より(おく)られて(ひさ)しゆう
秘蔵(ひぞう)せしは、名なを()ぐ者の(しあわ)せと(よろこ)びしが、この(たび)
ここに(うず)みて、昔忍(むかししの)ぶの(はか)()づけその(ゆえ)よし(しる)
つくるは、
隅田川(すみだがわ)(なが)()えず(つた)えて、二面(ふたおもて)
(ふた)つなき功績(こうせき)を、(のち)()(のこ)さんとてのわざなんありける。
明治13年3月

















き ょ う げ ん (づか)
二世河竹新七(にせいかわたけしんしち)俳名(はいめい)基水(きすい)
(ばん)
古河黙阿弥(ふるかわもくあみ)(あらた)壮年(そうねん)より
演劇作者(えんげきさくしゃ)となり、古稀(こき)(よわい)()えて
明治(めいじ)じ二十五年の(はる)()の字の(いわい)さえなしけるに、
()くる年料(としはか)らずも(やまい)のために()まかりぬ。
その
一生(いっしょう)の間に()(つづ)りたる新作(しんさく)
狂言(きょうげん)およそ三百余(さんびゃくよ)ほどありて、古来(こらい)
作者(さくしゃ)(めずら)しきことなれば、その()(つづ)ける
門人等師(もんじんらし)のむすめと(はか)り、これを(のち)()
(つた)えてんと、(いし)()てて狂言塚(きょうげんづか)()づけ、
初代(しょだい)名残(なご)りの葱塚(しのぶづか)になずらえて、
しのぶの
文字(もじ)()きつくることしかり。
明治二十七年十一月

















飯島光峨翁之碑銘(いいじまこうがおうのひめい)
 
 明治三十三年七月
















井上和紫(いのうえわし) 句 碑
(むらさき)()かりや
すみれ
江戸生(えどう)まれ

















芝金顕彰碑 (しばきんけんしょうひ)
ほととぎす今一声(いまひとこえ)のきかまほし
 月(つき)はさゆれど姿(すがた)()せず
エエぢれったい何としよう
  しんきくさいじゃないかいな
















鶴 久 子 歌 碑(つるひさこかひ)
空蝉の世の 
  うきことは
       きこえこぬ
        いわおの
(なか)
秋風(あきかぜ)のふく
















二 神 石 碑
くくのちの神 
 かやのひめの神 
この二柱の神は古事記上巻にある伊邪郡
岐伊邪郡美二神が生んだ神話の中に出て
くる神で
久久能智神(くくのちのかみ)
木の神、
鹿屋野比売神(かやのひめのかみ)
は野の神である
    古事記上巻より

















最中堂秋耳句碑(もなかどうしゅうじくひ)
(かぎり)なき
そらの(かなめ)
(もち)の月
















鷺流狂言師(さぎりゅうきょうげんし)矢田恵哉翁句碑 (やだけいさいおうくひ)
花暮(はなく)
    (われ)(かえ)りを
     (いそご)うずる
      明治二十六年葵巳七月建立

















日本橋石柱(にほんばしせきちゅう)
日本橋(にほんばし)変遷(へんせん)木橋(きばし)石橋(いしばし)鉄橋時代(てっきょうじだい)
(かく)あるが、石橋時代(いしばしじだい)いの模造品(もぞうひん)(おも)うが、
文字(もじ)徳川慶喜(とくがわよしのぶ)(つた)える
















月岡芳年翁(つきおかよしとしおう)之碑
千時明治三十一年戌五月建立

      月岡芳年ギャラリーへ
















螺舎秀民(らしゃしゅうみん)句碑
(あし)()や 田たへ来水(くるみず)も 角田川(すみだがわ)
     明治十八年10月建之











杉谷雪樵芦雁(すぎたにせっしょうろがん) 画碑
明治三十一年十一月

















七十二峰庵十湖句碑
何事(なにごと)も かかる浮世(うきよ)か (つき)(くも)
明治三十四年四月
















雪中庵梅年句碑(せっちゅうあんばいねん)
黄昏(たそがれ)や 
   又(また)ひとり()
  雪(ゆき)(ひと)
     明治18年仲秋建立











北 元 居 士(ほくげんこじ) 句碑
(みず)(そら)
   あかり(もち)あう
    夜の(あき)
        惟草書(いそうしょ)  















寶 屋 月 彦(たからやつきひこ) 句 碑
うつくしき
     ものは月日ぞ 
   年の花
         明治二十四年七月建立

















梅 い ろ い ろ
ウメは植物学的にはバラ科アンズ属又はサクラ属に分類される

(野梅系) →原種に近い丈夫な系統で緋梅系と異なり、花が紅色
でも枝の切り口は白い。
・野梅性 →細い枝が多く出て、枝の元の方から出る枝はトゲ状になる。
・難波性 →葉は丸く枝は細め。白〜淡紅色の花が多い。
・紅筆性→つぼみが筆の先のようにとがり、 花は淡紅色
・青軸性 →若枝が日焼けして色変わりすることなく、常に緑色である。
(緋梅系)→枝を切ると、枝の外皮の色にかかわらず、切り口が紅い ・紅梅性 →花は明るい紅色。枝の日焼けが少ない。
・緋梅性 →花色が濃く 、深紅色〜黒みを帯びた紅紫色まである。
・唐梅性→紅色の花がだんだん白っぽく変化する。
(豊後系)→アンズとの交雑種で枝は太く葉も大きい
豊後性→葉が丸く大きく、新芽は毛に覆われる。花は大輪が多い。
・杏性→豊後性に似るが、幼葉に毛がなく光沢がある。花は遅咲き





白 加 賀(しろかが) 実ウメ
   古くから知られる実梅の品種です。花は一種白色大輪。果実は大きく、粒もよく揃うのが特徴で、梅干しなど、さまざまな用途に用いられます。 





冬 至 梅(とうじばい)野梅性
     別名『本冬至』。早咲きの
品種で、花は一重で白色です。
盆栽にも向く品種です。





思いのまま  野梅性
「輪違い」とも呼ばれ、八重咲
きでその名の通り白色~淡紅色
〜紅色の花を咲き分けます




 紅冬至(こうとうじ)野梅性
     淡紅色の一重咲き品種です。
早咲きが特徴で、正月の飾り
などにも用いられます。
また、強健で小枝もよく出る
ので、盆栽にも向きます。




  見驚(けんきょう) 野梅性
  八重咲き大輪の花を咲かせます。
  色は蕾のころ淡紅色で、開花
すると白色に移ります。
性質も強健で、庭木としても
人気があります





  八重寒紅(やえかんこう) 野梅性
  紅色の八重咲き品種。
新芽の色も赤いのが特徴です。
早咲きの品種で12月ごろに
開花することもあります。





初雁(はつかり) 野梅性
      花は一重の白色で、極小輪。極めて早咲きの品種で、
秋になって雁が渡ってくる
ころに咲くことが名前の由来
になっています。 





  藤牡丹(ふじぼたん)しだれ 豊後性
     淡紅色で大輪八重咲の花を
咲かせる、しだれの品種です。
蕾は紫色です。





豊 後(ぶんご) 実ウメ
  花は一重で淡紅色、3月中旬に
開花します。果実が特に大きい

のが特徴で、梅漬けに向きます





紅千鳥(べにちどり) 紅梅性
 おしべに小さな旗弁(おしべ)
の先が花弁化したもの)が出る
ことがあります。花は一重咲
きの明るい紅色で、よく目立
ちます





  唐 梅(とうばい) 唐梅性
一重と八重があり、一般的には
八重咲きのものを指します。
花首が長く、下向きに花を
つけます。花が咲きすすむと
花弁が白味を帯びます。




鴛 鴦(えんおう) 紅梅性
     初代・佐原鞠塢の残した
『梅屋花品』に「?梅」として紹介されている1輪の花に2個の実
がなる品種です。八重咲で紅色の花弁には赤い筋が入ります。





  花 香 実 (はなかみ) 実ウメ
「照水梅」の別名で『梅屋花品』
     に記された品種とされます。
花の美しさと実の収穫をともに
楽しめる品種です。後水尾天皇
の命名とも言われます。





八つ房梅(やつふさうめ)実ウメ
『梅屋花品』に、1輪の花に8つ
の実を結ぶと書かれている品種
です。親鸞が越後の梅護寺に
植えたとされる樹が知られ、越後七不思議の一つとされます。




2025年(令和7年)

 2025年(令和7年)4月21日(月)













































 2025年(令和7年)4月5日(土)













































 2025年(令和7年)3月22日(土)
庭師の方が雪割草の展示の準備をしていました。癒しの風景ですね・・・




















青年が左手に稲荷ずしを持ちスマホで記念撮影!











 2025年(令和7年)3月14日(月)

























 2025年(令和7年)2月10日(月)





























 2025 向島百花園『梅まつり』
令和7年2月8日(土)〜3月2日(日) Japanese Apricot Blossom Festival 2/8〜3/2

梅の見ごろに合わせ、梅花とともに江戸の文化を楽しむ催しを開催。
In conjunction with the plum blossom viewing season, the garden will hold an event to enjoy Edo culture along with plum blossoms.






向島百花園は江戸時代後期に開園し、
梅の名所として「新梅屋敷」と呼ばれ
親しまれました。 現在も、月影・初雁
・白加賀・思いのまま・鹿児島紅等、20品種以上の梅を観覧することができ
ます。
Mukojima Hyakkaen opened in the
late Edo period (1603-1868) and
was popularly called “Shin
Umeyashiki” as a famous ume (plum) garden. Even today, more than 20 varieties of ume can be seen in the garden.
日時 令和7年2月8日(土)~3月2日(日) 各日9時〜17時(入園は16時30分まで) Feb.8-Mar.2 , 2025 9:00am-5:00pm
(last admission at 4:30pm)
(1)梅を詠む 「梅」を題材にした俳句・和歌を俳句帳に書きます。  
日時:期間中毎日 9時〜17時  
場所:藤棚横四阿
(2)江戸大道芸 浅草雑芸団による大黒舞い、 放下芸等の大道芸を披露します。  日時:2月8日(土)
・2月24日(月・振休)
各日11時40分、13時、15時 
※各回約30分  
場所:売店前広場  
観覧方法:当日自由観覧  
Edo Street Parformance  Feb.8(Sat.)
・24(Mon.)  11:40 / 13:00 / 15:00 (30min.each time)  
※We will cancel the event(s) if the weather is bad.

(3)すずめ踊り
初代園主の佐原鞠塢出身の地、仙台が
発祥で、墨田区ゆかりの浮世絵師、 葛
飾北斎が描いた「北斎漫画」にも登場
しているすずめ踊りを披露します。
日時:2月9日(日)・2月16日(日)       各日13時、15時 
※各回約30分  場所:売店前広場
出演:福来雀(ふっくらすずめ)
観覧方法:当日自由観覧  
Suzume Odori (Sparrow Dance)
The "Suzume Odori" originated in Sendai, the hometown of the first
owner of the garden, Sahara Kikuu, a
nd also appears in the Hokusai
Manga drawn by Katsushika Hokusai,
an ukiyo-e artist with ties to Sumida Ward.  Feb.9(Sun.)・16(Sun.)  
13:00 / 15:00 (30 min.each time)  
※We will cancel the event(s) if the weather is bad.

(4)庭さんぽ〜向島百花園の楽しみ方〜 職員の方が向島百花園ならではの草
花や庭園風景の楽しみ方をご紹介しな
がら、 園内を散策して回ります。
日時:2月23日(日・祝)
13時(約60分)
定員:10名(当日先着順)  
参加方法:開始10分前よりサービスセ
ンター横にて受付を行います。

(5)お茶会  日時:2月22日(土)・2月23日(日・祝) 各日10時〜16時
※各回約30分、入替制  場所:御成座敷  内容:向島百花園茶会によるお点前の披露とお抹茶の提供を行います。どなたでもお気軽にご参加いただけます。  
参加費:1席1,000円(入園料別途)  
定員:各回13名  参加方法:9時30分〜御成座敷前にて受付を行います(定員に達し次第終了)
Tea Ceremony  Feb. 22 (Sat.) ・ 23 (Sun.) 10:00-16:00 (30 min.each time)  ¥1,000 per seat (admission fee is not included)  Reception at Onari-zashiki house from 9:30am on the day. (will close when capacity is reached)
※各イベントの中止判断については、
向島百花園X(旧Twitter)https://twitter.com/MukoujimaGarden
にて案内。
不明な場合は、イベント当日に同園
サービスセンタに(03-3611-8705)




 2025年(令和7年)2月1日
2025 向島百花園『梅まつり』
令和7年2月8日(土)〜3月2日(日)



















































 2025年(令和7年)1月14日

































































 百 花 園 ル ー ト  
【墨田区内循環バス・すみだ百景 すみまる君 すみりんちゃん】
〇・曳舟駅南下車(押上駅より2つ目の停留所)→30秒程押上方面に戻り、永柳コルク工業のビルを右折→前進5分水戸街道に出ます。信号の向こう側に鳩の街通り入口のアーチがみえます。(途中進行方向4本目の通りを右折すると江戸木箸 大黒屋さんがあります)→信号を渡り鳩の街通りを前進(途中右側に吉川英治旧居跡の案内板があります)→突き当たりを右折前進5~6分(途中左側に幸田露伴児童公園があります)→地蔵坂通りに出ます→交差点を渡り2本目の道を左折すると突き当りが百花園です
つぶやき→中秋の名月・お月見の会の時に商店街に提灯が下がったら素敵ですね!
・鳩の街通り商店街入口下車(12番目の停留所)→2〜3分戻り右折、真ん中の坂道を下りそのまま前進5〜6分(途中左側に幸田露伴児童公園があります)→地蔵坂通りに出ます→交差点を渡り2本目の道を左折すると突き当りが百花園です。
〇・向島百花園への最短距離です(上記写真のバス停です)。前方に1分ほど進み左折→信号を渡り真ん中の坂道を行きます→徒歩3〜4分の左側にあります。
〇・曳舟文化センター下車→30秒程戻り右折→直進すること5分程で水戸街道にでます、向こう側に地蔵坂通りの、アーチが見えます→直進すること2〜3分の右側にガソリンスタンドがあり右折します→みづきの先の道(2本目)を左折すると突き当たりが百花園です。 

            









向島百花園周辺のランチのお店
つぶやき街角北西部ルート12 地 蔵 坂
(いってみよう)

つぶやき街角北西部ルート13
(鳩の街通り商店街)

 【百 花 園 通 り】
パスタアンドピザ サンティーニ

百 花 珈 琲
(墨堤通りに向かって右側)


【地 蔵 坂 通 り】
ロカンタ(ラザニアと世界の家庭料理)

WILD KOKU・RESTURANT

和風喫茶 満 喜みづき
(蓮華寺の手前)


レストラン鳩 屋
(蓮華寺れんげじの先を右折)


【鳩の街通り商店街】
古民家カフェこぐま
(幸田露伴公園の先を左折)
(つぶやき街角)

(日本料理) すっぽん ふぐ料理 向島平岡
三とも通り


【墨 堤 通 り】

吉備子屋(子育て地蔵尊の向かい)



墨田区内循環バス時刻表
(すみまるくん、すみりんちゃん)



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